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嗚呼、ニッポン

先週のメッセージでも語ったが、終末の時代、私たちのこれまでのパラダイム(世界観・自然観)に反するような事が起こる。例えば台風6号(マーゴン)の進路。

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私は福島直撃も覚悟したのだが。一部には気象兵器による操作と言う向きもあるようだが、これは神の憐れみの御手の証だ。私たちKFCの今年のスローガンは「神の証」。F1でメルトダウン、さらにはメルトスルーが起きているにもかかわらず、水蒸気爆発が起きなかった。京大の小出氏も理解できない現象と証言している。神はご自身の聖、すなわち愛と義、そして御言葉の真実をご自身で証しされる。かくして、まだ、ニッポンは神の憐れみを受けているのだ。しかし時が来る。

わがニッポンキリスト教でこれまで語られていること。あなたは神のVIP、ありのままのあなたが高価で尊い、君は愛されるために生まれた、大切なあなたのためにイエスは死んでくださった・・・。主イエスの十字架すら自らの慰みものとして弄ぶニッポンキリスト教。自分を神とすることに気がついていない悲惨。自らの上に神の裁きの手が置かれていることにそろろそ気がつくべきだろう。その時が来れば、方向転換はできないのだ。まことに時代は

 彼らは予見者に「見るな。」と言い、先見者にはこう言う。「私たちに正しいことを預言するな。私たちの気に入ることを語り、偽りの預言をせよ。道から離れ、小道からそれ、私たちの前からイスラエルの聖なる方を消せ。」
 それゆえ、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「あなたがたはわたしの言うことをないがしろにし、しいたげと悪巧みに拠り頼み、これにたよった。それゆえ、このあなたがたの不義は、そそり立つ城壁に広がって今にもそれを倒す裂け目のようになる。それは、にわかに、急に、破滅をもたらす。その破滅は、陶器師のつぼが容赦なく打ち砕かれるときのような破滅。その破片で、炉から火を集め、水ためから水を汲むほどのかけらさえ見いだされない。」
 神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。-Isa 30:10-15

今回ついに埼玉県の10歳の女児からセシウム137の内部被爆の事実が報告されたようだ。

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ここでポイントになる単語として「物理的半減期」と「生物学的半減期」を区別する必要がある。詳細はカレイドさんもリンクしているこちらのサイトを参照して欲しい。

すでに福島は危険、関東や西日本は安全とか言えないフェーズに入ってきたのだ。チェルノブイリとの違いは放射能源が、彼の地では一回の爆発ですべてが終わった、つまり供給源がなかったのだが、此方の地では依然としてソレが供給され続けていること。この点で、物理的半減期は意味を失う。しかし生物学的半減期は意味を持つのだ。つまり内部被爆を継続して受けない対策を取れば、体内に取り込まれた核種も指数関数的に減少する。問題はこれがほぼ不可能となったことを今回の事実は物語る。

ICPRのリスクモデルではECRRのそれよりもはるかに軽いリスク評価がなされているが、それは内部被爆を考慮していないため。例えばα線はヘリウム核、すなわち陽子2個と中性子2個の塊だが、空中を飛ぶ場合は紙1枚で遮蔽できる。しかし内部被爆では確実にDNAや生体分子を切断する。

今回の事実は、すでにニッポンのどこにいようとも、つねに放射能によるリスクを持っているということだ。この国の空中にはあの者の配下にある一軍の霊的存在だけでなく、放射能を帯びたナノ・ホット・パーティクルが大量に漂っており、降雨と共に地上に落下する。かくしてホットスポットがアトランダムに日本列島に死のシミを描くのだ。ぼくもあなたも神のVIPどころではない。ぼくもあなたも確実に放射能化するのだ。神の憐れみの猶予期間の間に真に悔い改めることが実に差し迫って求められている。繰り返すが、この国は二度と復興することはありえない。緩慢にして確実な死にすべての国民が直面しているのだ。2010年ティッピングポイントを超え、2011年マニフェストの年に入っているのだ。二度と後戻りはできない。まことに神を神として認め、かつ畏れ、その主権に服することのみだ。時代は「悔い改め」か「裁き/滅び」か、二者択一の時代に入っている*1。同時に人に媚びる"福音"を語る者には神の重い御手が置かれるだろう。

 それゆえ、神である主はこう仰せられる。あなたがたは、むなしいことを語り、まやかしの幻を見ている。それゆえ今、わたしはあなたがたに立ち向かう。―神である主の御告げ。―
 わたしは、むなしい幻を見、まやかしの占いをしている預言者どもに手を下す。彼らはわたしの民の交わりに加えられず、イスラエルの家の籍にも入れられない。イスラエルの地にもはいることができない。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。
 実に、彼らは、平安がないのに『平安。』と言って、わたしの民を惑わし、壁を建てると、すぐ、それをしっくいで上塗りしてしまう。
 しっくいで上塗りする者どもに言え。『それは、すぐはげ落ちる。』大雨が降り注ぎ、わたしが雹を降らせ、激しい風を吹きつける。
 すると、壁が倒れ落ちる。人々はあなたがたに向かって、『上塗りしたしっくいはどこにあるのか。』と言わないだろうか。
それゆえ、神である主はこう仰せられる。わたしは、憤って激しい風を吹きつけ、怒って大雨を降り注がせ、憤って雹を降らせて、こわしてしまう。
 あなたがたがしっくいで上塗りした壁を、わたしが打ちこわし、地に倒してしまうので、その土台までもあばかれてしまう。それが倒れ落ちて、あなたがたがその中で滅びるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。-Eze 13:8-14

追記:あの「こだまでしょうか」の詩人、金子みすずについての特集があった。この人の詩集が人気だそうだが、私はタケシと同様、この詩にはキモチが悪くさせられる。電通のシカケだそうだが、「やさしさ*2」の蔓延で見事にニッポン人の魂を抜いている。

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この詩人、26歳で3歳の子供を残して自殺。つまりビョウキなのだ。ビョウキの人の言葉に共鳴する現象はニッポンキリスト教の専売特許ではなく、ニッポンの病理のようだ。ちなみにギョーカイで流行している「みんな違っていい」もこの人のコピーだそうだ。こうしてニッポン全国がビョウキの霊に覆われる。頭かくして尻隠さずから、いずれ「ええじゃないか、ええじゃないか」へと悪化するだろう。極私的には、伊良部の遺言の方がマシだと思う次第。

*1イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」-Luke 13:2-5

*2:その実は自己憐憫の霊に煽られているに過ぎない。

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