Entry

トップ > 信仰 > 日本の霊的覚醒の時

日本の霊的覚醒の時

「リバイバル」なる単語は既にニンゲンのご都合主義による手垢にまみれ、その意義もすでに擦り切れている。ニッポンキリスト教、あれこれとさまよった挙句、現在はすでにアパシー状態だ。裏切られたと感じる者たちは次々に告発対象を漁りつつ、すでに狂気の様を呈してる。もうコリゴリの者たちは自閉的に、いわゆる2,3人の安全な仲間だけによる集まりに篭っている。これは私の著書でも予言している状況だ。かくして「リバイバル」なる単語は避けて、あえて霊的覚醒(Spiritual Awakening)と言おう。

さて、なぜ主は依然として公の霊的覚醒を起こされないのだろうか(個別のそれはすでにあるだろう)。私はかつて「リバイバル新聞」(現「リバイバル・ジャパン」)の社長谷口和一郎氏に告げたことがある:もし本当のリバイバルが起これば、あなたがたの商売は成り立ちませんよ、と。彼はこう答えたものだ:うちがつぶれてリバイバルが起こるならばそれは本望だ、と。これは主の前でも覚えられているわけだ。

明確に言おう、真の霊的覚醒が起きるならば、ニッポンキリスト教なるギョーカイはすっ飛んでしまうのだ!あれこれの先生方、あちこちの出版社、何だかんだのミニストリー・・・、みな 廃 業 す る だろう。信徒はみな主イエスのみに従うために牧師などから 離 れ 去 る であろう。いわゆる(ニッポン)キリスト教会などは運営が 立 ち 行 か な く な る。またあなた自身の生活も 吹 っ 飛 ぶ かも知れない。いわゆる「祝福されて恵まれたクリスチャン生活」なる幻想はすべて 打 ち 砕 か れ る だろう。

かくしてまだ私たちの側に備えがないのだ。主は今のところ、猶予を下さっている。しかし一人ひとりに対していずれ問われるだろう、「あなたは真の霊的覚醒を望みますか?」と。正直に言えば、私自身はまだ「望みます」とは言えないのだ。主は何を私たちに求めておられるのか、それが分かっているが故に。私は主の前でビビっていると告白せざるを得ない。軽率に「しかり」と答える者には主は言われるだろう、あなたは自分が何を求めているのか、分かっていない、と(Matt 20:22)。しかし主は時が来れば、主によって選び分たれた少数の器を通して、私たちの都合とは関係なく、ご自身の業を開始されるであろう。

その時は思いの外近いかも知れない。なぜか?主はこの旧創造を可及的速やかに結束されたいからだ。それゆえ、あらゆる事象を通して、私たちの地上に置かれた心を揺るがし、地との分離を図っておられるのだ。

さて、あなたは真の霊的覚醒を求めるだろうか、またその備えがあるだろうか?

イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分の魂のいのち(Gk)を救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分の魂のいのち(Gk)を失う者は、それを救うのです。-Luke 9:23-24

追記:今年のロシュ・ハシャナにおいて携挙があるとの説についてはどう思うかとのご質問を受けました。「ない」でしょう。一言加えますと、霊的覚醒はいつ起こるのかとか、携挙はいつあるのか、と言う質問ではなく、自分にはそれらの備えがあるのか、と一人称で問いかけるべきでしょう。

Comment

ISAIAH BEN HUR

これはまたカゲキにして挑発的な。。。また一部の人々が騒ぎ立つかもしれませんですね。

  • 2011/09/17 21:54
  • Edit

非公開

管理者にのみ公開されます。

  • 2011/09/18 04:36
  • Edit

Luke

まことに、アーメン。主は確かにご自身の器をお持ちです。

  • 2011/09/18 09:02
  • Edit

夜泣き児

Lukeさんが
>ビビっていると告白せざるを得ない

僕は到底告白することさえ困難です(>o<)

  • 2011/09/19 06:49
  • Edit

非公開

管理者にのみ公開されます。

  • 2011/09/19 20:11
  • Edit

Luke

兄弟、アーメンです。エンカレッジされます。

  • 2011/09/19 20:26
  • Edit
Access: /Yesterday: /Today: