Entry

トップ > 信仰 > 自己を神とすること

自己を神とすること

昨日の続きになるが、「自己を神とすること」-これが終りの時代の本質的な霊的徴候である。

そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。-2Tim 3:2

終りの時代の兆候の開始点は「自分自身を愛する」ことだ。その結果が「神を畏れなく」なる。では、その見分けは何によるか。きわめて単純だ。聖書を神のことばとするかどうか。聖書のことばをあれこれ論じることは、神のことばを人が裁くことを意味する。写本や訳語について論じることはもちろん必要であるが、問題はその場合の動機である。悪魔は神のことばを当初から否定したいのだ。

もう一点は、地的イスラエルに対する姿勢。悪魔はイスラエルを憎悪している。まことに「全地よりイスラエルの名を取り去ろう」と。理由なくイスラエルに対する敵意や憎悪を感じる者は、そのルーツを探る必要がある。それはあの者に由来するのだ。そして表向きの理由付けをするであろう。イスラエルのあれこれの行為を告発しつつ。同時にまたエクレシアに対しても同じ態度を取る。が、神の御霊はイスラエルとエクレシアを憎悪することは決してない。

要するに悪魔が欲することは、神のアイデンティティと属性をすべて否定し、貶めること。神の栄光を奪い、自らのものとしたいのだ。セルフを高くすること、セルフを正当化すること。これが敵の霊の本質的働きである。対してキリストの御霊の働きはセルフを神の主権に服させ、セルフを否むこと。私は著書の中で、最後の選択はセルフを選ぶか、キリストを選ぶかであると書いた。その時点では中間領域はない。主はペテロに言われた:

まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」

クリスチャンの行程は、まことにこの「自分の・・・たい」ことから、「あなたの・・・たくない」ことへと入り行くことである。セルフを排する道。現在のニッポンキリスト教を見てみよ。病んだセルフ教徒が、セルフの正当性とセルフの重要性を訴え、悪臭を放っているではないか。セルフ教の末路は明らかである。特に、一度御言葉に接し、真理をいくらかで知った者が、あえて御言葉を否定し、血潮と十字架を貶めるのであれば、もはや救いに立ち返ることはできない。彼らは主を再度十字架につけることになる(Heb 6:4-5)。

神の道を行くことはセルフを否む道。悪魔の道を行くことはセルフを肯定する道。これまで許されてきた自由裁量の領域は、ここへきて一挙に狭められ、主が言われた通りの霊的状況となっている。

わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。-Matt12:30-32

聖霊は主イエス御自身とそのお言葉を証する霊である。故に聖霊を否むのであれば、神がキリストにあってなされたすべてを否定するのだ。よって神の赦しすらも、自ら拒絶することになる。すでにニッポンキリスト教ではこれが起きている。このギョウカイは自らを自ら神の裁きの御手の下に置いていると知るべきであろう。

キリストとセルフ-両者が並んで立つことは決してあり得ないのだ。

追記:アメリカがおかしくなっていることは誰も否定できないと思うが、そのアメリカが"Agenda21"を施行せんとしていることはすでに書いた。いつもの井口博士もこれについてTPPとの絡みでエントリーしているので、紹介しておこう:

Access: /Yesterday: /Today: