エクレシアとは何であり、何でないか
- 2011/11/27 09:00
- Category: 信仰
- Tag: 真理 エクレシア
* Dr.Luke的日々のココロ *
ヤフー翻訳でなんとなくわかりましたが、2つめの文章。
So, Let's take some tme to set the record straight.
これが分かりませんでした。
「では、それに関して いくつか述べてみましょう。」でいいのでしょうか?教えてください。
ルークさん、コメントします。
言い換えれば、業界がどんなに間違った教会の概念を持っていようが、私たちの健全さには全く影響されないということですよね。キリスト教組織から脱した当時の私は そこまで分からなかったです。とにかく この変な概念を持つ組織から脱出して 関わりを絶ちたいっていう・・・そんな思いしかなかったです。今、思えば 惜しいことをしたのかなぁと 思います。???な組織であっても留まるべきだったのかもしれません。しかし、今となっては・・・。組織に戻ったところで全く意味はないでしょうし。
今の状態がおおいなる損失であったとしても、今の状態に留まり続けて 御霊による展開を待つしかないと、、そう思いました。ルークさん、動画ありがとうございます。
人間の作った組織の中にもエクレシアがあります。とても拘束されておりますが。キリスト教会とエクレシアが微妙に重なっているのです。zionさんが言われる人々がいわゆるキリスト教徒です。いのちを得ていないのですが、キリスト教徒として生きようとしているわけです。「クルシチャン」たちです。鍵は、
「ふたりまたは三人でも、わたしの名の中に集まるとき、そこにわたしもいるのだ。」
このビデオにある通り、わたしたち自身がキリストの手であり、足であり、肢体であり、エクレシアなのです。今、いわゆるキリスト教は崩壊しつつありますが、一方で主は、こういった人々を着実に起こされていますよ!
御体なる教会と地方教会の違いがわかっていませんでした。前者は、キリストの御体、主がかしら石であり使徒と預言者が土台、その上に我々活ける石が積み上げられて完成した暁には挙げられる。ハレルヤ!でも後者は、求道者と『義理シチャン』という不信者や毒麦(トラブルメーカー)が集いますのでトラブルが絶えない。地方教会が挙げられるわけではない。教会は建物ではない。
本来エクレシアは主にあって使徒の教えを堅く守り互いに仕え合い愛し合う共同体、のはず。(そんじょそこらにないので地方教会にいたり、教会難民になってしまう信者も少なくないらしい)
最近の再履修での学習成果。再履修はまだまだ続く。
zion
洗礼も受けたし礼拝、奉仕も熱心、『救いを疑ったことが無い人』が神の目からは実は救われていない人が最も悲惨。もう一度救いの条件(イエスの十字架、葬り、復活に対する信仰。恵み以外の人間的要素は排除。)を再確認すべき。レフトビハインドされないために。