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Johnの証【要旨】

福音書をイエスの生きた時系列で見ていくと、人となられた神であるイエスが、どのように人々と関わり、彼らがイエスにどのように応答したかがよく分かるようになる。この時、父なる神の決心を感じることができ、それに対して私たちが応答することを父は喜ばれるのだと分かる。「父の御旨」と言うとやや静的な感じで宗教的だが、父の決心と言うとき、きわめてダイナミックでアクティヴなものを感じ、人間イエスもそれに従って躍動感にあって生きていたことが分かる。

クリスチャン生活は人間となられた神イエスを、このように再発見し、追体験する生活である。神がいかに私たちに個人的に関わる事を願っているかを知れば知るほど、うれしくなる。このようにして味わったイエスをシェアし、共有することが教会エクレシアの実際であり、いわゆる信条条項を「われは・・・を信ず」と繰り返すことではない。それはキリスト教であり宗教である。むしろキリスト教はキリストの福音のもっとも大きな妨げとなっている。私たちはキリスト教を信じているのではない。今ここに生きているイエスとの関わりである。この方との関わりが私たちのすべてである。

追記:Johnは、現在田舎での朴訥とした人間関係を楽しんでいるそうです。

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ねずみ

水がブドウ酒に変わる事を聞けない信徒や変わっては困る牧師の何と多い事でしょう。キリスト教でメシを食っている教団にとっては当たり前だのクラッカーか?

  • 2008/03/30 23:02
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