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THE MANY FACETS OF FAITH

今週のメッセージに関連して、ちょうどHal Lindseyも、終りの時代を生きるためには、ただ信仰によることを語っている。そう、時代はすでに相転換し、いわゆる人間的な道理や常識は通用しないモードに入っているのだ。目に見えるものではなく、見えないものを見つめつつ(2Cor 4:18)、無から有を生む神(Rom 4:17)に対する信仰によってのみ生きることが可能となる。義人は信仰によって生きる(Rom 1:17)、がそのままに体現されなくては生きられない時代なのだ。信仰の領域から逸脱するならば、次々にふるい落とされるだろう。それはキリスト教などとは何ら関わりがない。霊的リアリティに生きることそのものなのだ。

しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。-Rom 14:23

信仰は望んでいる事がらを保証(Gk.実体化)し、目に見えないものを確信させるものです。・・・信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと*1、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。-Heb 11:1-6

信仰によらないものはすべて罪であるとあり、一方山を動かす信仰があっても愛がなければ虚しいとある。もっとも大事なのは愛だ、とあるゆえに、ヒューマニズムに落ちた自己憐憫の霊につかれた者は、愛、愛と叫ぶが、これで彼らが真の愛を知らないことを証明してしまっている。明確に言おう、魂の愛は罪なのだ。それはセルフを中核としている。聖書は明確に語っている:愛(Gk.agape)によって働く信仰こそが大切である(Gal 5:6)と*2

■参考:

*1:神は「ある」という方である。
*2:言葉を弄すれば、愛と信仰のアウフヘーベンだ。

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PI

http://www.christian.org.uk/news/bibles-are-homophobic-scots-police-told/

Scottish police forces have been told not to accept a gift of free Bibles from the Gideons because the book “condemns homosexuality”.

  • 2012/04/29 01:33
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