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Dr.Lukeの一言映画評

朝はジョッギング、緑が濃くなりつつある中を走るのはフィトンチッドで頭がリフレッシュされる。帰っての熱いシャワーがいつもながら快感。午前はちょっとデザインを一新したブログのメンテをして、プールとサウナ。午後は映画の巡行モード。

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作品はきわめて珍しいイランの『別離』。今、世界を恐怖に陥れているイランだが、国民はわれわれと同じ普通の人々。英語教師の妻が西側的価値観に目覚め、イランを脱出する願いを持ったところから、普通の家族の中に亀裂が入り、さらに些細なことから大きな事件へと発展する。その家族と周囲の人物との葛藤を描く作品で、あたかも他人の人生を覗くかのようなドキュメンタリーを見ている感覚だ。

第84回アカデミー賞外国語映画賞に輝く秀作

シミンとナデルはテヘランに住む夫婦。娘のテルメーとナデルの父と4人で暮らしている。シミンは娘の将来を考え、家族揃っての国外移住を考えていたが、夫ナデルの父がアルツハイマーに罹ってしまい、夫は介護の必要な父を残しては行けないと主張してきかない。娘のためには離婚も辞さないと言うシミンは、娘を連れて実家に戻ってしまう。ナデルは家の掃除と父の介護のために、敬虔なイスラム教信者のラジエーという女性を雇う。

第84回アカデミー賞外国語映画賞、第61回ベルリン国際映画祭金熊賞など世界中の映画祭を席巻した話題作。前作『彼女が消えた浜辺』が日本でも公開されているイラン映画界の新鋭アスガー・ファハルディ監督が、きめ細かな脚本と巧みな演出で、テヘランに住む2つの家族の心の闇と、人間心理の複雑さ、深遠さを掘り下げる。いくつもの複線を張り巡らせた緊張感あふれるストーリー展開で、観客はいつしか一瞬たりとも画面から目を離せなくなるくらい虜になる事必至だ。濃密な人間ドラマの中に、夫婦間の倫理的問題、格差社会の現実、介護の在り方、信仰や信条など、イランの今を浮き彫りにしているところも興味深い。

イスラムではプライベートな決断までもイスラム法学者のアドバイスに従うほどのモスレムであるラジエーだが、ある事件でつい虚偽を語るのだ。それによってふたつの家族の運命が悲劇へと傾くのだが、しかし、彼女はアラーとその言葉をまとめたコーランを畏れるモスレム。ついに最後の最後で事の真実がアラーの前において彼女の良心によって明らかされてしまう。この点、ヒューマニズムに堕ち、神を自分の慰みものとし、神を畏れることを忘れたいわゆるキリスト教徒たちは聖霊の光の逆照射を受けるべきだろう。

家族という世界共通の、人類の基本単位、神の祝福の根本単位における葛藤と苦悩を、イスラムという価値観の中に置かれたイラン社会の人々を通し描く作品。信仰によらず家族のダイナミクスは同じなのだと再確認した。ハリウッドのエンターテインメントに比べると、地味な展開だが、まさに映画の原点と言える。かつての小津安二郎の視線と共通するものを感じた。しかしイランでもiPhoneや日本製車、さらに女性もジーンズをはくのが普通なのだが、その西側的光景の中に厳然と本質をのぞかせるイスラムの人々のある種の一途さと真剣さがどこか怖いと感じた。

帰って温泉Spa Libur Yokohamaにて夕日と三日月を眺めつつの露天風呂でまったりと。かくして2012年の連休が始まった。もちろん温泉だ。

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