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神の激しい訪れ

先に私はイザヤ書から預言の言葉を語った

そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。-Isa 59:19

そして言った、ここではますます"キチガイじみた事"が起きるでしょうと*1。まことに昨日の私たちは、いわゆるニッポンキリスト教のスタンダードからすれば、完全に逝ってしまった状態だった。何が起きているのか分からないまま、主の激しい流れと主の吹きまくる息の激流に放り込まれた感じ。メッセージのBr.Tagawaも興奮気味に主の体温が感じられるほどだったと証しし、また別の兄弟も手で触れるほどに主の臨在を感じ、靴を脱げと命じられたようだったと告白していた。私自身も呼吸が苦しくなるほどに迫られた・・・。というわけで、毎週のべ300程度のDLいただているのだが、今週のセレブの録音では人によっては躓く向きも相当あるかもと思っておる次第。一応、そこんとこヨロシク!

で、同時に英国のJarrod CooperのNew Life Chuchのセレブレーションの場面をUPした。先にも紹介したが、主の濃厚な臨在によって、みなひざまづき、主を拝している。そう、立っていられなくなるのだ。主の御前にただ額づくしかなくなる状態。なんと言う深い主のタッチ、そして栄光だろう。まことに神の国は言葉ではなく、力である、とあるとおりだ。私たちも同様の流れに放り込まれたようだ。主の臨在による導きは前回のテーマだったが、まことに主はそのことを体現してくださっている。何かが始まってしまった。今後、私たちは何を見、経験するのだろうか?

*1:御霊の現われも見る人の心によっていろいろに見えるもの、その人の霊を露わにしてしまうのだ。処女の懐胎、死者の復活を文字通りに信じること自体が"キチガイじみた事"であろう。終わりの時代、神は人間の知性に挑戦されていることを知るべきなのだ。神は人間の知性のフレームに閉じ込められる方ではない。cf.→神学と神のみことば

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