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神の真剣さ-霊と魂の切り分け-

本日のニーの黙想とも関係するが、カナンの地を征服するためにヨルダン川を渡ったイスラエルは、エリコを前にして割礼のない者たちは割礼を受ける。さらにマナはやみ、それぞれの収穫で生きるようにされる。そのときに、ヨシュアの前に抜き身の剣を持つ者が現れる。ヨシュアの質問に対して、「いや、わたしは万軍の主の将だ」と答える。そこにあるのは確固たる神の主権。この方を主権者とするか、否か。自己栄光化の霊、自己主張の霊、姦淫の霊、動機の不順な者、自らを売り込む者、などはそれから先には進めない。

本日のメッセージもまことに神の峻厳に触れるもの。このところ、霊が豊かに満ちているセレブが続いたが、しかし、真にこの地を得るために、私たちは抜き身の剣で切られる必要がある。本日のメッセージを聞いて、内側が探られた者は幸いだ。自己弁護や、憤りや、さらには反逆的な霊の動きを感じた者はきわめて要注意だ。御霊以外の霊の侵入を許しており、最悪、あちらの霊と契約を結んでしまっている。すでにふるい分けは相当に進んだが、なおも神は霊のふるい分けを行なっておられる。

神は私にこう言われた、「わたしは真剣である」と。神は常に真剣ゆえ、あえてそれを言われる神に対して、正直、畏れを覚える。今日、ヒュマーニズムによる自己憐憫の霊と神を侮る霊が蔓延しているこの社会やニッポンキリスト教。神に対する真の畏れが回復される必要があるのだ。

このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。-Acts 5:5

主権者はどなたか。まことに、今、私たちに語られているお言葉はこうだ:

あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。-Josh 5:15

私たちもヨシュアにならって、頭を地に伏し、そのとおりにするのみだ。

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  • 2012/05/28 09:49
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Luke

これはひどいですね。ここまで来てますか・・・。私は次回になります。よろしく。

  • 2012/05/28 10:21
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