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TODAY'S CELEBRATION 【July 01 2012】

[MESSAGE OUTLINE]-水と血と油- UP

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ウォッチマン・ニーの黙想集『荒野に宴をもうけ』から(下の日付をクリック!)

 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。-ヘブル10:22

 私たちが至聖所に入るとき、イエス・キリストの血潮以外のものを根拠に入ろうとすることがありませんか?しかし自問自答をする必要があるのです。果たして自分はその血によってのみ神の臨在に入ろうとするのだろうか、それとも他の何かを頼るのであろうか、と。「血によって」というとき、それは何を意味するのでしょうか?単純に言えば、自分の罪を意識し、清めを必要とすることを告白し、主イエス・キリストがなされた事実に基づいて、神の身元に近づくことです。ただキリストの故にのみ、私は神に近づくことができるのであり、私の達成とかではありません。例えば、私が特別な人物であるからとか、あるいは特別な患者であるからとか、あるいは今日、主のために何かを成し遂げたからとかではないのです。
 私は誤っているかもしれませんが、それでも私たちの中のある人々は次のように考えているのではないかと危惧します。「今日は私は少しは注意深くおれた;今日は少しは良いことがなせた;今日は神に近づき、より祈ることができた!」と。違います、断じて、違います、違うのです!清い良心は私たちの達成によるのでは決してありません。それは主イエスが贖いの血を流されたことによる御業に基づくのです。

Quasi-Oldies Faith'02

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  • 2012/07/04 07:14
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