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"病み"の哀しさ

今、私たちはひとりの精神を病んだ女性によってセレブが妨害され、その実施が困難になると言う事態に立ち至っています。この手の人々がなぜか私たちの元に来ては、去って行きました。しばしば恨みを抱えつつ・・・。彼らは常識が欠如しており、すべての基準は「自分がどう受け入れられ、どう処遇されるか」のみ。彼らの問題点を指摘しようものなら、たちまち逆恨みを持たれる。加えて今回はある種の危険性を感知するために、慎重な対応にならざるを得ない。

そしてこの手の人々(まあ、人格障害あるいは精神病とラベリングするのは簡単だが・・・)に触れて分かることは、彼らがいかに疎外感と孤独感をいだき、自己憐憫に自らを閉じ込めているか、である。彼らは自らの歪みによって、ますます外部とのやりとりに齟齬を来たし、さらなる孤立感と疎外感をいだくに至る。ついには恨みをいだき、時には犯罪化につながる。また自分の娘からも見放されてしまうのだ。最も深刻なのは病識の欠如。自分がおかしいことを認めないか、分かっていない。

こうした彼らの心を思い計る時、何とも言えない哀れさを覚える。自分がまいた種を刈り取るだけなのだが、それに気がつかない彼らの認知の歪み。そしてしばしば彼らは霊に用いられる。もちろん聖霊ではない。汚れた霊である。彼らから放出される霊は、たちまちにその周囲と人々を汚す。聖霊派の先生たちはただちに「悪霊よ、去れっ~!」とかやるのでしょうが、私はサイエンティスト。精神病理を専門とする者。もちろん霊の関わりは認めているが、問題はその霊を招く彼らの精神病理にある。

今回のケースは、小学生程度のピアノの腕しかない婦人が、自分に賛美の伴奏をさせよとあくまでも主張し、数年前からピアノを占拠するわけ。私が語ってもいない事を"聞いて"いる。何度かやらせて、ご機嫌を取ったものの、こちらがゆずると図に乗るばかり。さらには自分よりも腕のある姉妹に嫉妬心を燃やし、ストーカーまがいの行動に出る始末。危険なのだ。このところ完全に逝ってしまい、なりふり構わずピアノに居座り続ける有様。あたかも「自分はここにいるのよ!」と壊れそうな自我をようやく維持しつつ、自己主張的に叫んでいる感じ。

・・・しかもそのピアノは決して電源が入らない設定なのだ。鍵盤を叩いてもまったく音の出ないピアノを占拠する病者。病んでいることの哀しさをしみじみと覚えさせる症例ではある。

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