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終末の欺瞞極まれり-イエスには妻がいた-

マリアはローマ兵によるレイプでイエスを身ごもった。聖書は神のことばではなく、人間が神について記録したものである。すべての人は救われている。愛なる神は人を裁くことはなく、地獄も実在の場ではない。十字架の贖いやイエスの血を侮る者たち。神学によって神の言葉を高等批評の対象とし人間の知性の中に閉じ込めるいわゆる神学者たち。

悪魔は偽りの父であり、彼らが語るとき、その動機は彼から来ているのだ(John 8:44)。終末の欺瞞は、もちろんサタンをそのルーツとしているが、サタンは聖書の御言葉を毀損することに躍起になっている。なぜならそこにはサタンの運命がすでに成就しており、彼は自分の運命を突きつけられるからだ。このゆえに御言葉に啓示された霊的真理をなんとしても否定したい。こうして人間の小賢しい知性に訴えて、意図的に神の言葉を貶める輩が出現するのだ。神の愚かさにあえてチャレンジする彼らはキリストの教えに留まらない者、神を偽り者とする輩であって、悔い改めの機会はすでに残されていない。

だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます。-1John 2:9

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今回、また彼らを喜ばす材料が浮上した。コプト語で書かれた4世紀のものと推定された名詞カードサイズのパピルス破片が物議をかもしている。そこにはイエスが次のように弟子たちに言われたと書いてあったからだ:「わたしの妻は・・・」と。この破片は匿名の人物が所有していたもので、この人物は1997年にパピルス紙片の束をドイツ人から入手、昨年12月に問題の紙片をハーバード大学神学部のKaren L.King教授の元に預けた。彼女はこれでただちにイエスが妻帯者だったとは結論できないが、初期のクリスチャンがそれを信じていた可能性を示唆しているエキサイティングな資料であると言っている。なお、ハーバード大ではイエスに妻がいたと結論はしていない。


いわばあのダン・ブラウンの『ダ・ビンチ・コード』の裏づけともなるわけだが、いわゆる『トマスの福音書』も発見され、グノーシス的文献が次々に聖書の権威を否定しているかのように見える現在、かくのごとくのフェイクに欺かれてはならない。なぜならキリスト・イエスの花嫁はただひとり、それはキリストの血と水によって生み出されたエクレシアなのだから!もしイエスに妻がいたら、聖書の永遠の啓示はただちに崩壊する。それは神を偽り者とすることだ。かくして終末の欺瞞はますますその手法の狡猾さを増しているのだ。欺かれない者は幸いである。

そしてメッセージでも語ったが、クリスチャンたちよ、御言葉を語れ!愚かだ、狂信だ、反知主義だ、常識を逸脱している・・・これらの中傷に対してあえて語れ。彼らは自分が神の側にないことを知っているのだ。サタンと彼らは神の言葉を恐れているに過ぎない。なぜなら信じない者はすでに裁かれているからだ(John 3:18)。神学とか哲学などで装わず(そのようなものは人間に対する媚びにすぎない)、愚かになって、神の言葉をそのままに大胆に語れ!

というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、霊と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。-Heb 4:12

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  • 2012/09/19 21:56
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Luke

感謝です。まことに私と私の家族は・・・ですね。

  • 2012/09/20 07:23
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