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共に・・・

契約の箱を担うこと。キーワードは「共に」。私たちは祭司団であるから。いわゆる牧師の楽しい説教を聴きに集まり、あるいは油注ぎの器の派手なパフォーマンスを見に集まる。これが当たり前になっているキリスト教の現状は倒錯の世界。病識のない者を処することは実に難しい。時に強制力も必要となる。が、自ら気がついた者は幸いだ。いわゆるキリスト教の常識がいかに倒錯の世界であるか・・・。自ら担ぐことができるだろうか、それとも楽しませてもらうだけの信徒であろうか。主は今、自ら契約の箱を担う人々を求めておられる。それも数は必要ないのだ。それによって私たちのアイデンティティが明らかになる。「共に担う」こと。これを共有できる兄弟姉妹が与えられていることは何と言う喜びであろうか。

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