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ビヨンセとカトリックの意外な共通点

それはすなわち、オカルト。バビロンのオカルトがイルミナティの形やカトリックにあって継承されている。カトリックの本質は黙示録2章に指摘されている「サタンの深み」(Rev 2:24)。すなわちイゼベルの教えと実行、それはバビロンをルーツとするオカルトだ。ヴァージン・マリアの本質は

子どもたちはたきぎを集め、父たちは火をたき、女たちは麦粉をこねて、『天の女王』のための供えのパン菓子を作り、わたしの怒りを引き起こすために、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いでいる。-Jer 7:18

「私たち女が、天の女王にいけにえをささげ、それに注ぎのぶどう酒を注ぐとき、女王にかたどった供えのパン菓子を作り、注ぎのぶどう酒を注いだのは、私たちの夫と相談せずにしたことでしょうか。」-Jer 44:19

この霊の実体化(Embodiment)がイゼベルであり、カトリックのマリアだ。そして現代にあってはビヨンセやリアーナなどのセレブたち。彼女たちの表現する霊は仰々しいバチカンの祭事と同じ臭いを感知し得る。その霊に動かされる者は「やさしい愛の神」、父なる神と言いつつも、実は彼らにとっては母性的な、何でも愛し、赦す"神"なのだ。真の十字架を知らない者はこの霊に逃げ込み、自己憐憫と嫉妬・妬みを増長する。かくしてサラから生まれた約束の子たちに対する嫉妬・妬みを燃え上がらせたハガルの子と同じ末路を辿る。

そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。
・・・
兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。
しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」
こういうわけで、兄弟たちよ。私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。-Gal 4:6-31

もし神の裁きを恐れるのであれば、奴隷の霊を受けているのであり、自由の女の子の霊を受けていない。たとえ、神から叱責されようとも神の愛を真に知る者にとってはそれは甘美なのだ。ここにも神に受け入れられた者と拒絶された者の相克があるのだ。時代は拒絶された霊どもが最後の自己弁護とあがきをなしている。

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