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三国志にみる体・魂・霊

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と題する記事をいつもの電気屋さんがものしている。これも面白いので貼っておこう:

結論を言えば、<呂布=体の人>、<劉備=魂の人>、<曹操=霊の人>とのこと。なるほど、なるほど。世間では曹操は悪、劉備は善とされるのだが、実は劉備は小人。彼は自分の価値観と自分の人間関係の中だけで、つまりカプセルの中の生き方をした。そのプロトコルはその世界でしか通用しなかったのだ。ある意味、彼は自己愛的世界に陶酔したのだ。確かに有能な部下は集まった。これについては先に北方氏の分析を紹介した(→劉備と言うアイコン)。

対する曹操は国を統一するためには何でもした。ついには30年の忠臣荀彧をも捨てた。彼のプロトコルの中心は国家統一だったのだ。三国を制するカギは、セルフを貫くか、統一のためにセルフを退けるか。曹操は最期の時にも言った、世間は自分を見誤っている、しかし世間が自分をいかに見誤ろうとも自分にとってはどうでもいいことだ、と。彼はいわゆる世間体を捨てた。すなわちセルフを捨てたのだ。

『三国志』ではよく「嗚呼、天よ!」との台詞が出る。彼らは自分たちが何をなし・いかなる境遇に置かれるかは、「天命(意)」によるとした。天が自分に委ねたものを忠実に卸していくこと。この生き方をしたのは確かに曹操だったのだ。彼は非情にも見える手法で漢の献帝を追いつめ、その子曹丕はその位を法に則った形ではく奪し、漢を終わらせた。対する劉備は曹丕が魏の天子に即位した後、部下たちから漢の天子となることを勧められつつも、自分の主義をつらぬくために頑なに拒む。それでも即位するのだが、その際の詔が呉を撃つこと。つまり関羽の復讐だった。これが劉備の限界*1。統一の見地からみれば、打つべきは魏の曹丕。その後張飛も関羽の死を恨み、自己憐憫よって酒に浸って部下たちに寝首をかかれる。こうしてカプセル化した劉備ワールドは一挙に自己崩壊的に瓦解するのだ。ある意味、民主党の末路と似ている。

国を運営するには愛人がいようと、隠し子があろうと、どうでもいい。ソーシャル・エンジニアとしての腕があればよい。ここでも繰り返したが、極私的には小沢氏に期待していたが、彼はどうも浮上できない。いつも言うが、オペを受ける際、野心とカネにまみれた、しかしメスの切れる財前五郎に切ってもらうか、愛と優しさにあふれた、しかしメスの切れない外科医に切ってもらうか、自ら選べと言われる場面を考えてみればよろしい。さすがの愛と義に満ちたニッポンキリスト教徒たちも財前を選ぶであろう。曹操は確かに財前五郎的ではある。しかしもっと賢かった。が、一見悪辣なキャラなのだが、どこか憎めないのだ。というか、極私的にはかなり好きな人物だ。実は、彼は学問にも優れ、法整備などの業績などもあり、詩才も豊かだった。確かに女好きではあったようだが・・・。かくして天下は曹操→曹丕→司馬懿の流れに乗るのだ。

酒に対しては、まさに歌うべし。
人生幾ばくぞ。
譬えば、朝露の如く、
去日は苦だ多し。
慨いてまさに慷むべし。
幽思忘れがたく、
なにを以て憂いを解かん。
惟だ、杜康有るのみ。
青青たる子が衿、
悠悠たる我が心、
ただ君が故のために沈吟して今に至る。
呦呦として鹿は鳴き、
野の苹を食う。
我に嘉賓有り。
瑟を鼓し、笙を吹く。
明明と月の如く、
何時か掇るべし。
憂いは中より来たりて、
断絶すべからず。
陌を越えて阡を度り、
枉げて用いて相存せば、
契濶して談讌せん。
心に旧恩を念えり。
月明らかに星は稀にして、
烏鵲は南に飛ぶ。
樹を繞ること三匝、
枝の依るべき無し。
山は高きを厭はず、
水は深きを厭はず。
周公は哺を吐きて、
天下は心を帰す。

『三国志』などの歴史ものを読む(観る)とき、究極的に国を執る者は何を「物差し」にするかがカギになる。己の義・思想・メンツ・係累・友人etc.に生きる者は残念ながら歴史から退けられる。要するに「国取り」とは意志と意志との葛藤だ*2。この世界を制する意志は、すなあち天命(意)。コレを掴めるか否か、ここですべてが決まる。その意味で世間の評価などはもっとも無意味なものとなる。しばしば大衆や社会が喜ぶものはローマやわがニッポンを見れば明らかなのだ。物差しを民意におく国民主権なる欺瞞の愚衆政治、これが目下のわが国だ。究極の政治は神による独裁政治。それはすなわち神の意志のみが支配する神主権の神聖政治。主イエスが再臨された後に行われるであろう千年期だ。その物差しはすべて「神のための・神による・神の」政治。現在の経綸にあっても、霊の人とはこの意志を掴んで、それに服し、行う人*3。かの時代に具体的にどのような政治形態になるのか現在の頭脳では知る由もないのだが・・・。

■参考:意志の領域について

さて、『三国志』、あとDVDも9枚を残すのみとなった・・・。

*1:おそらく孫劉連合のために孫権の妹を妻としたものの、彼女に逃げられたことも因縁になっているであろう。
*2:律法は罪の力、ネットは病者の力。この世界では病んだセルフを弁護し、正当化し、かつ主張するために、その領域を担保せんために病んだ意志がそのレーゾンデートルを主張している。
*3:これは昨日の富井氏の主張にも通じるが。

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