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OWRへの道に警鐘を鳴らす

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OWR(One World Religion)の時代。人類はひとつ、みな兄弟。イエスを信じようと信じまいとすべての人は救われている。すでに全宇宙はキリストの御体であり、宗教による違いはない。すべての宗教は神へと導く。あらゆる人のうちにはすでにキリストがおられる・・・。マザーテレサなどもこう唱える。

先にも紹介したが、このような霊に導かれた、フランシスIによる次の演説はヒューマニズムに汚染された世のオツムにはきわめて心地よく響くのだ。

すでに何度も指摘しているが、終末の特徴は、御言葉の明らかな棄損。主の十字架と血による贖いや血潮の価値の否定、主イエスの名のみによる救いの否定、etc.によって、人間中心の砂糖まぶしの"福音"にある。ニッポンキリスト教でもすでにその兆候が露わになっている。この流れの最先端にいるのが、前にも紹介したROB BELL。彼の教えは、救いはイエスの名だけによらない;神は愛だから人間を裁くことはしない;すべての宗教で人間は救われる;すべての人の中に神性な光があり、イエスがおられる・・・。などのあからさまな御言葉の真理の棄損だ。

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  • 背教の時代-グノーシスの霊の浸透
  • ROB BELL AND POSTMODERN NEO-LIBERALISM
  • (このサイトには有益な情報が満載)

    ROB BELLに代表される「ネオ・リベラル」と言うとカルトの出現を警告している。そして今回、彼は同性愛婚を認知した*1

    ちょっとダビデ張系なのでなんなのだが、CPにおいてすら、今回の同性愛結婚を認知したROB BELLがクリスチャン信仰の根幹を否定し、その影響によるアメリカにおける背教の流れに警鐘を鳴らし、牧師たちは御言葉の真理を語るために、崖っぷちから荒れ狂う流れの中に飛び降りるべきだとの論を展開している。

    • More Pastors Jumping Off the Rock into the Raging Waters
    • Rob Bell Comes Out for Marriage Equality
    • Interview: Why Rob Bell Supports Gay Marriage

      彼らはすでに書かれた聖書すらを否定し、自分にとって都合の良い部分だけを引用するというきわめてサタン的な手法を用いて、自分を正当化する*2。これがセルフ教の特徴だ。聖霊は決して書かれた御言葉(写本や訳の問題などは別に検討を要するが)に反するような導きは与えない。もし神の声を聴いたと称しつつ、御言葉に反することを主張するのであれば、それはすなわちセルフを神とするように悪魔に誘導されたものである。エバが聴いた御言葉を巧妙に歪曲し、最後には明確に否定するまでに騙されたように、今日、特にニッポンなどにおいては、サタンの業は偽りによるのだ。書かれたことは書かれた通りにしておくこと。キリストの教えを通り過ごす者の霊は聖霊ではない。あの者の霊である。今後、サタンは明確な真理の否定をもってチャレンジするであろう。真理の帯紐を締め直す必要があるのだ。

      しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。-1Tim 4:1

      だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。-2John 1:9

      私たちは淡々と御言葉を語るのみ、御言葉は御言葉自身を証し、その力はあらゆる膝をかがめさせる*3

      *1:この中のビデオを見ると、ROB BELLの落ち着きのなさが分かると思う。この人物はしばしばこういった他者の目を気にして怯えた様子を見せる。精神的緊張感が高いことが分かる。精神的な何かの葛藤を抱えていると思われる。少なくともキリストの平安は感じられない。
      *2:ただし、そのような偽りの霊に操られた者たちと論じ争う必要はない。たいてい彼らは病んでいるから、論争自体が無意味であり、時間と労力の無駄。人生は彼らを相手にするほどに長くないのだ。彼らはサタンに利用されているのであり、サタンは利用するだけすれば、彼らを捨てる。彼らは自分の語った偽りの実を刈り取るから、自由に語らせておけばよい。自分の言葉で裁かれる「ブーメラン効果」。
      *3:御言葉に抗する者たちはすでにその心の中に御言葉が刺さっているのだ。それはある種の痛みを生じるが、しかし、セルフを排してそれに服することができないために葛藤する。それが苦痛なために、セルフを生かすべく、何とかリクツをこねくり回して、セルフ教典をねつ造しているのだ。彼らのいわゆる悩みは聖霊に服することができないがための自作自演。ダイハードな者は自らを傷つけるのだ。こうして偽りを積み上げるほどに崩壊の時は悲惨なものになるのだが・・・。

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  • 2013/03/26 07:04
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river wave

日本キリスト教界は一応聖書信仰が建前だが、結果は「絵に描いた餅」だ。日本の教会は①頭でっかち②牧師中心③信者の団結力がない。青学の信者数は世間並み。日本の致命傷は、教界も学校もキリスト教の世界標準(in christ , the low of the spirit)に達していない事、全てを新しくする為、深い井戸を掘っていない事である。  

  • 2013/03/27 12:47
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>すでに何度も指摘しているが、終末の特徴は、御言葉の明らかな棄損。主の十字架と血による贖いや・・

現代のカトリックやプロテスタントが用いている「聖書」はBC.325年のニケア公会議以降、大幅に捻じ曲げられている(改ざんされている)可能性がある。コンスタンティヌスは既に政敵をことごとく制圧していたが、母と子を殺し、また身内以外の多くの人を殺して死後の裁きを恐れていたところ、コンスタンティヌスのもとにエジプトの司教ホシウスが取り入る為にコンスタンティヌスにとって都合の良いでっち上げられた贖罪などの教義を携えて「キリスト教を信ずる者に許されないことは何もないのです。」とうまく説いて慰めたとのこと。渡りに船とも言うべき教義を得たコンスタンティヌスはキリスト教を国教とすることを考え始め、宗教思想や教義・信条をもっともらしくでっち上げ、それを発表し国教とする為の公的会議を開く事となったようです。贖罪や三位一体の教義に意義を唱えたアリウス派は追放、書物は焼き捨てられたらしいです。アリウスはコンスタンティノポリスで死亡(一説によると暗殺)。

妻子を殺し、多くの人を殺した「聖なる」コンスタンティヌスの下で国教とされるに至った「聖書」が果たして今日に至るまで手の加わっていない無傷なままのものなのか疑問が残ります。

  • 2013/03/28 03:02
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聖書を絶対視することについて

マラキ霊 Spirit Teachings 8章抜粋

「全ての啓示は人間を通路としてもたらされる。故に多かれ少なかれ、人間的誤謬によって脚色されることを免れないのである。いかなる啓示も絶対ということは有り得ない。信頼性の証は合理的根拠の有無以外には求められない。」

「いかなる教派にも偏ってはならない。理性の容認できない訓えに盲目的に従ってはならない。一時期にしか通用しない特殊な通信を無批判に信じてはならない。神の啓示は常に進歩的であり、いかなる時代によりても、いかなる民族によりても独占されるものではない。神の啓示は一度たりとも“終わった”ことはないのである。その昔シナイ山にて啓示を垂れた如く、今なお神は啓示を送り続けておられる。人間の理解力に応じてより進歩的啓示を送ることを神は決してお止めにならない。」

参考サイト: http://www.meilach.com/spiritual/books/st/sect08.htm

  • 2013/03/28 03:24
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訂正があります。

x:贖罪や三位一体の教義に意義を唱えたアリウス派は追放

o:贖罪や三位一体の教義に異議を唱えたアリウス派は追放され、・・・

  • 2013/03/28 18:15
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