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薛濤:春望詞其三

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昨晩は東京MTの酢重ダイニングにて。この店、実は長野県の酒蔵の店。わが地元の真澄や御子鶴、さらに味噌料理が特徴。今、ちょうどフェアーの時期で佐久の明鏡止水の試飲が。いや、六本木に長野県が進出、なんとも気分がいいことだ。

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さて、薛濤について陳舜臣氏が『中国美人伝』の中で書いている。彼女は長安で生まれ、役人の父の赴任地成都で育ち、14,5歳で父を亡くし、母と共にそこにとどまる。10歳になるまでに詩を詠むことができ、父が桐の枝と葉で対句を作れと言うと、たちまちに

 枝迎南北鳥/葉送往来風

と詠んだ。古代中国には纖(しん)といわれる予言が信じられていた。この詩はまさに彼女の一生を暗示していると感じた父は嘆息したという。これは後ほど紹介する彼女の詩『柳絮』で証明される。父の死後、彼女は伝をたどり、その地の節度使韋城武の家妓となる。その妻が玉笙(ぎょくしょう)、彼女は夫が寵愛する自分より十歳も若い薛濤になぜか嫉妬することもなく、むしろあたたかい目を向けるのだった。彼女もかつては芸妓だったのだ。かくして二人は"夫"の目を盗んで互いに燃えるようになる。その彼女が詠んだ春望詩其三-

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風花 日に将に老いんとするに、佳期 猶ほ渺渺(べうべう)たり。
同心の人を結ばずして、空しく同心の草を結ぶ。

風に舞う花びらに、時はゆっくりと過ぎ行く/なのにあなたに逢える日はなお遥か遠く。
愛するあなたと結ばれることはなく/ただ空しく同心草を結び合わせるばかりです。

彼女の境遇を思い巡らすとき、この詩も単なる恋愛ではない、むしろもっと艶かしい印象を覚えるのだ。昨今、女性の人権がどうのこうので橋下氏が叩かれているが、当時は女性は存在すら認められなかった時代。運命に弄ばれるかのように東西へ、南北へと柳絮のごとく舞を繰り広げた彼女の人生。魚玄機とは異なり、80歳近くまで生きて、今でも成都では語り継がれているとか。過酷な運命に抗して、彼女の美貌と才能が彼女を今日まで生かしているのだ。魚玄機にしも薛濤にしても、なんとも艶にして幽境の情を覚えさせられる女性たちではある。

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成都薛濤井

陰の声:先の銀の波に一羽のカラスを詩にしようと苦闘しているところ・・・・。

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