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時代は流れる-ヤザワってだれですか?

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ちょっとショッキングなセリフが生徒から聞かれるようになってしまった。うーん、ヤザワを知らない!?ビールのCMに出てるよと言っても、見たことない・・・。時代は流れていく・・・。

今朝の日経の記事も驚いた。司法試験が新しくなって、弁護士が3万人を超えたが、12年の修習修了生2080人のうち、540人が裁判官にも、検事もならず、弁護士登録もしていないとか。新人弁護士は仕事にもあぶれ、バイトなどで月収は20-30万だそうだ。本来、社会的エリートであるはずの彼らが、ほとんどフリーター化している*1。いや、元々弁護士はファームなどの所属を除くと、その労の割りにさほどの収入はなかったのだが。やはり時代は流れている・・・。

かくして現代、人々は時代についていくだけで精一杯。落ちた人々はそこにほとんど永遠に取り残される。安倍氏のスローガンと反して、敗者復活とかはないのが実情だ。しかるに良寛も言っている通り、人間(じんかん)の善も悪も、世のことはすべてまぼろしのようなもの。そう、浮世狂言なのだ。・・・と言うと再建主義の富井氏に敗北主義と言われそうだが、「ディスペン神学」にはまり仕事も学問も家庭も捨ててしまった彼とは異なり、私は欲しいものは何でも得てきている*2。その結果、もう世にさほど欲しいものはなくなってしまった。いや、八ケ岳か蓼科の山中に庵を結ぶ夢は今も持っているが・・・。

地上の生が浮世狂言であるならば、できるだけ楽しく生きるべきであろう。私はいわゆる「聖く・正しく・貧しく・美しく」なる世界には正直、恐れを覚える。ソロモンのように地上でできることはすべて試してみたいのがホンネ。ヤザワも忘れ去られるこの時代。主イエスの再臨も近い今、よく言われる「一度の人生どう生きるのか」。けっこうこの問題提起だけは古今東西、時代を問わず、永遠普遍のものかもしれない。

さあ、またも金曜日。いつものことながら・・・

ついでに。このニュース、やばいかも・・・

*1:これは博士課程を出て博士号を取得した人々にも言えることだ。博士号取得者をむやみに増やした役人の愚かな政策と無策による弊害。
*2:私は特定の教義や教派や神学などに身を委ねることは決してしない。自分と人生や家族を委ね得るのはただ主イエスとその御言葉のみなのだ。

Comment

坂井能大

アーメン<ただ主イエスとその御言葉のみ

ダビデアンの連中は私達のことを「現代のパリサイ人」と呼んでいるようですが、
思いっきり、思い当たる節があるのが悔しいところです(笑)

そういえば、友人の理学博士(物理学)がやっと(?)結婚することになり、
展開次第では「お持込牧師」で司式できそうなので楽しみです(笑)

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地上生活について

インペレーター霊訓8節:「地上生活は生命の旅路の一過程にすぎない。しかし、その間の行為と結果は死後にもなお影響を残す。故意に犯せる罪は厳しく裁かれ、悲しみと恥辱の中に償わねばならない。一方善行の結果もまた死後に引き継がれ、霊界にてその清き霊を先導し高級霊の指導教化を受け易くする。生命は一つにして不可分のものである。ひたすらに進歩向上の道を歩むという点において一つであり、永遠にして不易の法則の支配下にある点においても一つである。誰一人として特別の恩寵には与れない。また誰一人として不可抗力の過ちのために無慈悲なる懲罰を受けることもない。永遠なる公正は永遠なる愛と相関関係にある。ただし、お情けは神的属性ではない。そのようなものは不要である。何となれば、お情けは必然的に刑罰の赦免を意味し、それは罪障を自ら償える時以外には絶対に有り得ぬことだからである。哀れみは神の属性であり、情けは人間の属性である。徒に沈思黙考に耽り、人間としての義務を疎(おろそ)かにする病的信仰は、我らは是認するわけにはいかない。そのような生活によりて神の栄光はいささかも高められぬことを知るからである。我らは仕事と祈りと崇拝の宗教を説く。神と同胞と己自身(の魂と身体)への義務を説く。神学的虚構をいじくり回すことは、無明の暗闇の中にてあがく愚か者に任せる。われらが目を向けるのは実際的生活であり、それはおよそ次の如く要約できよう。

父なる神を崇め敬う(崇拝):神への義務

同胞の向上進歩を手助けする(同胞愛):隣人への義務

身体を大切にする(肉体的養生):自己への義務

知識の獲得に努力する(知的進歩):自己への義務

より深き真理を求める(霊的開発):自己への義務

良識的判断に基づいて善行に励む(誠実な生活):自己への義務

祈りと霊交により背後霊との連絡を密にする(霊的修養):自己への義務

以上の中に地上の人間としての在るべきおおよその姿が示されている。いかなる教派にも偏ってはならない。理性の容認できない訓えに盲目的に従ってはならない。一時期にしか通用せぬ特殊な通信を無批判に信じてはならない。神の啓示は常に進歩的であり、いかなる時代によりても、いかなる民族によりても独占されるものではない。神の啓示は一度たりとも終わったことはないのである。その昔シナイ山にて啓示を垂れた如く、今なお神は啓示を送り続けておられる。人間の理解力に応じてより進歩的啓示を送ることを神は決してお止めにならない。」

シオン議定書では既存の宗教の裏*が披露されていそうで、民衆が清貧思想によって暮らすことは為政者や権力者にとっては都合のいいものになるかも知れず、清貧の教えが人工的に組み込まれた教義を信じることは愚かしく、馬鹿馬鹿しく思えてなりません。しかしインペレーター霊訓の教えが真理ならば、誠実で奉仕的に生きることは摂理に準した歩みであり、神が喜ばれる歩みであると思う。

  • 2013/06/29 05:06
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*シオン議定書ですが、毒々しい悪魔的思想で嫌悪すべき書であり、掲載したくないですが真理的書物と悪魔思想との対比のため敢えて一部抜粋を掲載させて頂きます。

「非ユダヤ人を入れてある羊損員は、我々(ユダヤ自称人と思われる)と我々(ユダヤ自称人と思われる)の目標の前に立てられた屏風として隠密裡に活動するが、わが勢力の活動計画は、その所在すら人民には全く謎に包まれたままにされるのである。しかし、自由が神に対する信仰や人類愛に支えられ、平等思想と結びつかぬならば無害なものであり、人民の安寧幸福になんら害を与えず、国家経済の中に居場所があってもよろしい。しかし、平等思想は自然法則に悖るものであって、平等思想が一段下の思想であることは動かぬところなのである。このような信仰をもって、人民が教区の保護のもとにあり、地球に対する神の支配に従う牧師の手に導かれ満足して敬虔に歩んでくれるならいいのである。そうでないからこそ、我々は、信仰という信仰をむしばみ、畜生(非ユダヤ人)共の心から神の摂理と霊魂なるものを引き離し、代わりに損得勘定と物欲を入れることが絶対不可欠なのである。」

シオン議定書は悪魔が書かせたとしか言いようのない唾棄すべき書物であり、掲載するのも気が引けます。比してイェシュア様の説く真理は至純、至聖、至命であり、遵守すべき摂理であるかと思われる。

  • 2013/06/29 05:27
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