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何気な日常を愛でる

今朝は朝から暑いこと。それでも森に入るとそこは別天地。依然として都路のあの山と積み重ねられた黒い袋が脳裏にこびりついているが、それでもこの自然に接するとふとあの光景から離れることできる。あの黒い袋がすべてを象徴している。まことに神の創造は人類の罪によって汚されている。が、それでも、なお、神の創造は美しい。

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世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。-Rom 1:20

当たり前のことが当たり前であること。これ、ますます貴重な時代となりつつある。私は六本木のネオンも好きだが、この朝の自然の輝きをも愛でる。まことにこの美しさによってリフレッシュされるのだ。これらの美しさは人の手によらない。神の国も同じだ。繰り返すが-

神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません
地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。-Mark 4:2-29

何気な日々を慈しみつつ生きること。いのちの流れるままに・・・。それは神の用意された安息に入ることに他ならないのだ。神から見ると安息した人ほど働く人なのだ。見れば信じる、が人の価値観。神の法則は、信じたら見る。豊かに得る人は豊かに与える人。真に赦される人は真に赦した人・・・。常に神の法則は人にとっては逆説なのだ。それは-

誇る者は主を誇れ。-2Cor 10:17

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