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気持ちのイイ走り方-莫妄想

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昨日はちょっと新しい店を開拓。プライスもリーズナブルで味もよろしい。場所はヒミツ

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この時期、最高に爽快な朝を楽しめる。楽しめる走り方の秘訣はと言うと、簡単なのだ。要するに内なる身体の真の声を聴くこと。身体が気持ちイイという感覚を維持しつつ走るだけ。大気が肌をなでる気持ちのよさに任せ、身体が気持ちイイと喜ぶ感覚に完全に任せるだけ。簡単だ。決して意識を用いて自分にノルマを課したり、苦しくなったりするまで無理はしないこと。われわれはアスリートになるわけではないのだから。消費カロリーなども気にしないこと。気持ちがイイから走る、ただそれだけ。これは信仰生活も同じ。クルシチャンは自作自演的に勝手に苦しくなるのだ。その源は自己(セルフ)。

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話はやや飛ぶが、かつて元寇の際、北条時宗は元の大軍勢に怯え、日本国の将来を思って懊悩していた。時に(1268)、執権となった時宗、若干18歳。その時宗が師事した人物が鎌倉円覚寺開山の祖、無学祖元。彼は宋人、能仁寺に避難していた折、蒙古軍に包囲された。他の者たちはすべて逃げ出す中、彼だけは泰然自若、敵に白刃を喉元に突きつけられつつ、次のように喝破した。

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 乾坤孤筇(こっきょう)を卓(たつ)つる地なし
 喜び得たり 人空にして 法もまた空なることを
 珍重す 大元三尺の剣
 電光 影裏に春風を斬らん

要するに、物理的世界に生きる自分のいのちはすでに自分のものではなく、自分は世と死から解き放たれている。自分の住む世界はこの空の世界ゆえ、お前の立派な剣も風を切るだけで、わが魂を滅することはできないのだ、ということ。

これを受けて蒙古兵は退散したと言われている。なるほど蒙古兵も学のあるできた者たちだったのだ。単なるパープリンには通じない言葉だから。そこでこの詩は「臨刃偈(りんじんげ)」とも言われる。

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。-Matt 10:28

かく肝が座っていた無学祖元は、時宗に招へいされて若い彼を導いたが、自分の臆病さを悩む時宗に対してこう語ったとされる-

臆病の解脱とは容易。臆病の原因となっている所、すなわち自分自身を断ち切りなさい。時宗という自己を棄て去れなされ。一切の妄念思慮を断ずること。ただひたすら坐禅を組み(只管打挫)、自分の思いに浮かぶすべての想念は相手にせず、心の奥深い声を聞くことに徹せよ。俗事の生活もそのままの修行の道場だ。修行が進めば、やがて時宗の内なる真実の心の声を悟るであろう。無学祖元は臨済宗だが、曹洞宗の道元の言とも通じる:

仏道とは自己をならふことなり、自己をならふとは自己を忘るることなり。

もちろん私たちの主も言われる、十字架により自己を否め、と(Luke 9:23-24)。

要するに思い(mind)の中に浮かぶ一つひとつの想念に注意を置き、意志で消そうとしたりしてもがくとかえってそれが膨らみ、ついには不安や緊張を生み、その自己の妄念の中に拘束されるのだ。ついには自分を自己の中に幽閉するに至る。ゆえに過去を顧みず、未来を想い謀らず、今この時に生きよ。過去も未来も妄想に過ぎないのだ。かくして無学祖元は時宗にこう喝を与えた、「莫妄想(あるいは莫煩悩)」。妄想(煩悩)すること莫(なか)れ。添えて、元の軍隊は神風により退散すると予言もしたとされる。かくして若き時宗が蒙古の大群をしていかに戦ったかは教科書にあるとおりだ。

自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。-Matt 6:25-28

この父なる神は永遠の、今、在る方(BEING)なのだ。過去の後悔や未来の心配の中ではなく、今、ここにいます方。この方のうちに生きること。もっとも気持ちのいい生き方ができる。

時代は下り、鎌倉の円覚寺に参禅した鈴木大拙は、釈宗演により印可証明を得た。前にも書いたが、彼の顕証(悟り)の言葉は「肘外に曲がらず」だった。悟りとは当たり前が当たり前であること。また夏目漱石も参禅し、その時の体験をもとに『門』を書いている。釈宗演は禅を欧米に最初に紹介したことで功績があるが、慶応を出ただけあって、実はかなり洒脱にして豪放磊落な遊び人だった。遊郭を根城にし、そこから大学に通っていたとの逸話もあるほどだ。

かくして今、私たちが何気に訪れる鎌倉円覚寺にもこれだけの人々の血肉の歴史が刻まれているのだ。

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  • 2013/09/21 09:42
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Luke

あ、この度はありがとうございました。Salt氏のブログでもそちらのご様子伺っておりますが、ますます若くなり、楽しくまいりましょう^^

  • 2013/09/21 10:23
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shige

パープリン、30数年ぶりに聞きました。まだ通じるのですね、この言葉?
でも、十字架により自己を否めと言われてもパープリンには通じませんね。

  • 2013/09/21 23:44
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Luke

はは、この単語、実は私も忘れていたのですが、↑この矢沢のメッセージに出てきて、頭に残ったのですね^^

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