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和光同塵-老子

 道は沖なれども
 これを用うればあるいは盈たず。
 淵として万物の宗に似る。
 其の鋭を挫き、其の粉を解き、
 其の光を和し、其の塵に同じくす。
 湛として存するあるに似る。
 われ誰の子なるかを知らず。
 帝の先に似たり。

キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。-Phil 2:6-8

生まれながらの(魂の)人は自分の才や力をひけらかすもの。対して老子は説く:鋭く尖ったものを鈍くおだやかにし、縺れたものを解きほぐし、まばゆい光はやさしくやららげ、至る所に舞う塵とひとつになること。これが「道(タオ)」の機能であると。まことにガマリエルの薫陶を受けた、当時のエリート中のエリートにして迫害の急先鋒だった才長けて尖ったサウロは、あの光に打倒されて後、パウロとなり自らを塵芥であると証しているのだ(1Cor 4:13)。真の「道」に出会った彼の何という変わり様、それはまさしく神の栄光!

Comment

電気屋

アーメンです。

  • 2013/10/20 22:15
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Luke

ほんとうに老子は面白い。彼の説いたことの実体は、彼は意識しなかったでしょうが、まさしくキリストです。

  • 2013/10/21 06:24
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まこ

主の光に打たれ、主の栄光を見るならば一瞬で変わるんですね。努力でなんか人は変われない。

一昨日、saltさんとご一緒でしたが、ルークさんの話題満載でした。
まるで、そこにルークさんがいるような気分でした。
エクレシアは繋がってるんだなあと思わされました。
神は着々とご計画を遂行してくださってる。
嬉しかったです。
み国に行く前にも神の国を味わわせてくださって
こうして、イエスにある者と出会わせてくださる。
saltさんの隣にちょこんとルークさんが座ってて、真ん中にイエス様がいて。
周りを全部イエス様が取り囲んで握っていてくださってるようでした。
そう言えば、そこに電気屋さんも座ってましたっけ。
皆、勢ぞろいで、楽しかったです。

Luke

いつかみなさんとオフ会したいですね。六本木でとは言いませんが^^;交わりの範囲が広がってますから、おじさん・おばさん(いや、お姉さん)が勢ぞろいで・・・楽しみです。ヨロシク!

  • 2013/10/21 20:36
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まこ

是非是非、楽しみです。よろしくお願い申し上げます‼︎

Salt

まこさんの証言は真実です。

老子、私も昔から好きですが、何しろ「わたしが道(tao)である」ってイエスはおっしゃってますからね。

わたしは上の記事を読んで、ナザレで普通の人として30年を過ごされたイエスの姿を思いました。

  • 2013/10/22 00:06
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Luke

不思議です、老子。道、深いですね・・・・。

  • 2013/10/22 20:35
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