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いきの構造-Bossa Nova

ちょっと早いがKaren Souzaの"November Rain"をBossa Novaで・・・。

Salt氏が九鬼周造の『いきの構造』から、「いき」の定義を引用している。思わず、なるほどと、うなったので、ちょっとこちらにも転載をよろしく:

まず「いき」とは、男女の関係から現れたもので、

1 異性に対する媚態 なまめかしさ、つやっぽさ、色気
2 江戸っ子の意気地 異性への一種の反抗意識
3 運命に対する諦め 垢ぬけ、解脱

の3つを構成要素とするものだと定義している。

真剣で一途な恋は「いき」ではない。恋の束縛から自由な浮気心は「いき」である。追いかけすぎてもいけない。もっといえば「運命によって諦めを得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である」とのこと。なかなかに深い。

極私的に言えば、ニッポンキリスト教徒的トウヘンボクの真反対と言えるかと思うのだ。このギョウカイ、特に最近は、どうみても「いき」からははるかに遠い。変にマジになって殺気立ち、ある種のストーカー性を帯びて、要するにコワイのだ 洒脱というか、どこか自分の愚かさを自分で笑うことができる心の余裕が欲しいものだ。まさにそれが熟男。正直言って、極私的には年齢を重ねるごとに、どうみても自分は携挙されないのではないかと思えるのだ。つまりレフト・ビハインド。私が携挙されたら、それこそ神の恵以外の何物でもない

というわけで、ボサノバで脱力感を楽しみたい・・・。

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