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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


 わたしは自分が信頼している方を知っており-1テモテ1:12

 キリストにある豊かないのちに与るようになった数多くの人々に、いったいどのようにその経験に入ったのかを尋ねるならば、ある人はこう言い、別の人はああ言うことでしょう。それぞれの人が自分がその経験に入った特異的なあり方に強調点を置き、御言葉をその根拠とするのです。そして不幸なことに、多くのクリスチャンが自分の特異な経験と特別な御言葉をもって、他のクリスチャンと闘っているのです。問題の本質は、私たちは色々な様式でより豊かないのちの経験に入り、キリストをその中心に据えているとみなしているのですが、しばしば自分の経験や教義を互いに排他的なものとみなしてしまうのです。事実は、むしろ互いに相補的であるべきです。次の一点は確かに言えるでしょう。神の目にあって価値のある経験とは、主イエスのご人格とその御業の新しい意味を新鮮なあり方で見出すことによるのです。他に道はありません。これこそが安全なテストであり、重要なことなのです。

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