老師第五十章
- 2013/12/04 22:48
- Category: 漢詩
- Tag: 老師
電気屋さんのブログの記事「生まれるという事 死ぬという事」を読み、つい老師を思い起こした。
生に出でて 死に入る
生の徒 十に三有り
死の徒 十に三有り
人の生
動きて死地にゆくものまた十に三有り
それ何の故ぞ
其の生を生とする厚きを以ってなり
蓋(けだし)し聞く
善く生を摂するものは
陸行して?虎(じこ)に遭わず
軍に入りて甲兵を被らず
?(じ)は其の角を投ずる所なく
虎は其の爪を措く所なく
兵は其の刃を容るる所なしと
それ何の故ぞ
其の死地無きを以ってなり
生の徒 十に三有り
死の徒 十に三有り
人の生
動きて死地にゆくものまた十に三有り
それ何の故ぞ
其の生を生とする厚きを以ってなり
蓋(けだし)し聞く
善く生を摂するものは
陸行して?虎(じこ)に遭わず
軍に入りて甲兵を被らず
?(じ)は其の角を投ずる所なく
虎は其の爪を措く所なく
兵は其の刃を容るる所なしと
それ何の故ぞ
其の死地無きを以ってなり
生に出でて、死に入る。まことに人の道。しかし地上の生にある間、いかにしたら災いから免れるのだろうか。老師は言う、生を生として拘るから苦しむのだ。しかし生をよく養う者は諸々の禍から守られる。なぜか、それはその死地無きを以ってなり。すなわち自分の生に拘らないからだと。
自分の命(魂:Soul)を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。-Luke 9:23