Entry

トップ > 漢詩 > 南宋の忠臣蔵

南宋の忠臣蔵

年内も実質来週で終わる。とりあえず木曜日がフリーとなった。本日はGymでみっちり過ごす予定・・・。

ファイル 4023-1.jpg

さて、時は元禄十五年の忠臣蔵の季節であるが*1、中国南宋時代に文天祥なる人物がいた。若干20歳(1256年)で科挙に状元(主席)合格。ゆえに状元宰相と称した。時は元が台頭していた時代。彼も元軍と戦うも、捕囚の身となる。それを脱しゲリラ線を繰り広げるも、ついに1278年捕縛される。その際降伏文書を書く事を求められるが、一篇の詩をもって拒絶する。元のフビライは彼の才を惜しみ、自分に仕えれば中書の地位を約束するも、彼は断固拒絶し、むしろ死を望んだ。かくして1282年、刑場に臨み、故郷吉州の方角を再拝し従容と死についた。享年四十七歳。中国の三忠臣と言われる。その彼の詩『正気の歌』は幕末の藤田東湖や吉田松陰に多大なる影響を与えた。

・・・と、彼の辞世の詩もかなりイイのだが(後ほど)、今回は彼の、これまた忠臣の謝?(しゃこう)の詩を。

 心は太古に遊びし後は
 転(うた)た覚ゆ 此の生の浮たるを
 天外 知んぬ 何物ぞ
 山中 愁いを著し得たり
 岸花 草色に低く
 湖水 江流に逆らう
 消息 盈虚(えいきょ)の裏
 人をして頭(こうべ)を白尽ならしむ

人の生と国はうつろいゆくもの。

人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。-Ps 103:15

まことの永遠の御国はこう言われるこの方にあるのだ。

・・・野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
・・・
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。・・・-Matt 6:24-34

今、私たちはエクレシアとしてこの御国の内に生きる者とされたのだ。

*1:ちなみにハリウッドの"47Ronin"(複数形になっていないのが?)を観たが、国籍不明のややハリポタ系のデキだった。根幹は確かに忠臣蔵だったが・・・。

Access: /Yesterday: /Today: