荒野に宴をもうけ
- 2013/12/29 23:59
- Category: 信仰
- Tag: ウォッチマン・ニー
ウォッチマン・ニーの黙想
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、・・・もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。-ローマ6:6
あなたは何ゆえに主イエスは死なれたと信じていますか?その信仰の根拠は何でしょうか?主が死なれたと感じるからでしょうか?違います、あなたは決してそれを感じることはできないことでしょう。それは神の言葉がそう語っているので信じるだけです。主が十字架にかけられたとき、二人の強盗が同時に十字架につけられました。あなたはその事実を疑うことはないでしょう。なぜなら聖書に明確に書かれているからです。では、あなた自身の死についてはどうでしょうか?主と共なるあなたの磔刑は彼らのそれよりももっと密接な事実です。彼らは主と同時に十字架につけられましたが、それらは主のものとは異なる十字架でしたが、あなたは主のうちに置かれたゆえに、主が死なれた時、主とまさに同じ十字架につけられたのです。それはあなたの感覚によるのではありません。神がそう言われるのですから、十分なる確信をもってそれを知ることができるのです。キリストが死なれたことは事実です。ふたりの強盗が死んだことも事実です。そしてまたあなたが死んだことも事実なのです。あなたが嫌悪する自己は、キリストにあって十字架で死んだのです!それはあなたが「もはや罪の奴隷とならないため」なのです!