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香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁-白居易

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香炉峰下 新たに山居を卜し草堂初めて成り 偶東壁に題す
日高く睡り足るも猶(なほ)起くるに慵(ものう)し
小閣に衾(しとね)を重ねて寒さを怕(おそ)れず
遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聽き
香鑪峯の雪は簾を撥(かかげ)て看(み)る
匡廬(きょうろ=香炉峰)は便(すなわ)ち是れ名を逃のがるるの地
司馬は仍(な)お老を送るの官たり
心泰(やす)く身も寧(やす)らかなるは是れ帰する処ところ
故郷 何ぞ独り長安にのみ在らんや

白楽天が江州(江西省)に司馬として左遷されていた際に詠ったもの。時に46歳。左遷された地をもって満足と安息の地とする彼の超然ぶりがカッコいい。司馬職は実権のない閑職。給料も当然安い。が、彼はこの地で三泰を得たと友人に手紙を書いているそうだ。泰とは心の安らぎであり、その一は自分や家族や係累が健康であること、その二は江州の風土と食べ物がよく安い給料でも家族を十分養えること、その三は草堂を作って日ごろ好むものはすべて備えられ、「帰るを忘るるのみならず、以って老を終えるべし」と満ち足りた思いを得たことだ。

もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。
なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。
食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。-1Tim 6:6-8

老子もいわく-

知足者富(足るを知る者は富む)-第三十三章

当時の詩人はたいてい当時の最高の知性を持ち、進士(国家公務員I種あるいは司法試験)に受かったエリート中のエリートだ。が、彼らは世における栄達を求めていない。むしろ隠棲を願うのだった。高村薫の『レディー・ジョーカー』にあるとおり、組織のトップは自らの心に反して組織を守るためにヤバイことに手を染める。経営者と政治家とやくざと警察は実は紙一重。ツーツーカーカーの阿吽の呼吸でこの世は回る。巨悪は放置するが、逃亡した一人の男を4000人で追跡する警察のあほ臭さは世界の笑いものになっているそうだ。かくしてうかつにこの世のシステムにはまると何かを失うのだ。この小説でも主人公は苦悩した挙句、犯罪者とされ、最後は山に篭り畑仕事を夢見るのだが、それは絶たれてしまう。かの伊丹重三監督の『マルサの女』でも権藤商事の社長が無邪気に遊ぶ子供たちを眺めつつ、ふとつぶやく。「心は安らかな方がいい・・・」と。

満足すること、満ち足りること、YAZAWAも言っている、金は便利がいいが、金だけではハッピーにはなれないと。改めて彼の問いかけの深さを思う次第-

アー・ユー・ハッピー

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