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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


  どのようにして、若者は歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉どおりに道を保つことです。-詩篇119:9

 パリサイ人は器の外側をきれいにしますが、内側は不純に満ちたままです。私たちの主は、外見的な事柄を取り繕い内的な要素を無視するゆえに、彼らを叱責されました。そこで私たちの多くはこの事例から、霊的真理の内面性を大事にすれば、すべては良しと結論づけます。しかし神は外面と内面の純粋性を求められます。内面性の欠如した外面性は霊的な死であり、外面性を無視した内面性は単なる超霊的生活に過ぎません。これらの事柄を超霊的に避けてしまうことは決して霊的ではないのです。「これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが」(マタイ23:23)。神聖な命令がいかに瑣末なことに見えようとも、それらは神の御心の表現なのです。どうしてそれらを軽く扱うことができましょう。私たちの不純さによってもっとも小さな神の御心をすら無視してはならないのです。

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