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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想

  わたしから離れては、あなたがたは何もできない-マタイ15:5

 自分で何かをするように唆されることは人間性の内に宿された性質です。私の国における塩田で私自身が目撃したことを例として説明させて下さい。中国では苦力たちは120キロの塩を担ぐことができます。またある者たちは250キロも可能です。今、120キロのみを担ぐことができる男が250キロの塩の前に来るとしてください。彼は確かに自分にはそれを担ぐことはできないことを知っています。しかし、自分でできないとしても、なお彼は担ごうと試みるのです。若い私は、10人から20人の男たちが来てその努力する姿を見て面白がっていました。彼らは自分にはできないと知っているのです。ついに自分ではできないと観念すると、できる人に代わるのでした。しばしば私たちも主を思い起こし、主ご自身はそれをする用意と力があることを認めて、主に明け渡すに至るのは、もう自分にはまったく不可能であると絶望する時なのです!私たちがうまくなし得て、それを自分自身で握り締めている間は、御霊の全能の御力による働きに対して僅かな余地しか残していないのです。



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