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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


 すると彼は三回打ったが、それでやめた。神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。・・・」-第二列王記13:18f

私たちは常に神がなさり得ることに制限を設けてしまう危険があります。今日、神は福音の働きにおける新しいわざが解き放たれることに私たちが備えることを願われます。しかし私たちは、自分が進むべき備えのない信仰の領域に入ることを避けて、神を制限するのです。私たちは主の「勝利の矢」の飛翔を理解していないのです。私たちが数百人の救いで満足するのであれば、さらなる数千人の救いの妨げとなるのです。福音を宣べ伝えるために巨大なホールを建てることが、将来の成長に制限を設けることになる可能性はないでしょうか。神の恵みに対して境界線を設けてしまう大きな危険性が常にあります。神が賜る恵はさらなる大きな恵への道を備えるものであり、その障害となってはならないのです。すべてを用いて働きに備えましょう。しかし絶えず過去の束縛を自分でふるい落とし、常に新鮮な期待の中に生きましょう。私たちの前には過去のわざきよりもはるかに大いなるわざが待ち受けているのです。私たちに対する神のご計画は予想をはるかに超えるものがあるのです。

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