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穀雨ですが、清明の詩を・・・杜牧

4月20日は二十四節気の穀雨。そのとおり本日は朝からしのつく雨でうっとおしい。杜牧の「清明」がまことにフィットする一日だった。なお、清明は4月5日あたり。

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 清明の時節 雨 紛々
 路上の行人 魂を断たんと欲す
 借問す 酒家は何処に有る
 牧童 遥かに指す 杏花村

時はもっともうららかなはずの清明の時節なのに、春雨がしとしと降りしきる。独り旅人の私がその雨の中を歩いていると、侘びしさに心が折れそうになる。そこで尋ねてみる、「おい、坊ず、居酒屋は近くにあるかな」と。ふと牛飼いの少年ははるか遠くの杏の花咲く村を指差したのだった*1

旅人は熱燗に思いを馳せていたのだろう。独り旅の侘しさに酒と人の温もりが恋しくなる。しかしその酒場ははるか遠くの杏の里なのだ。この少年は旅人の心情に対して無頓着に、かつ無邪気に答えたのだ。杜牧もこれでは怒りも、失望も感じない。むしろ少年の無邪気さにホッとしたかもしれない。その無心な状態において杜牧は慰めを得たのだ。冷たくうっとおしい雨にあって、あたかも映画のワンシーンのような二人のやりとりに、温もりと一服の清涼感を覚えるのだ。

*1:このゆえに清明の時節に降る雨を「杏花雨」という。

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