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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。-1コリント12:22

 かつて何年か前、私は自分自身では決して解決策を見い出せないと思える非常に大きな人生の問題に直面しました。その時、僻地のある場所で福音のメッセージを語っていましたが、その答えを見出すために不可欠と感じていた御言葉の知識を他の神の僕たちの誰もが知り得ませんでした。私は必要とする交わりをどこに見つければ良いのでしょうか?私が宣べ伝えていたその田舎の人々の間にも、もちろん数名の信者はおりましたが、みなキリストにある赤子だったのです。彼らがどうしてこの 問題を解決し得るでしょうか?
 しかしながら、私はその時点までにすでに完全に行き詰まっていたのです。彼らを招く他にまったく方法はありませんでした。そこで必要を抱えた私の求めに応じて、これらの純朴な兄弟たちが私の元に来ました。私は彼らに自分の問題を語り、彼らは祈りました。―なんと、彼らが祈ると光がもたらされたのです!詳細は説明する必要はありません。とにかくそれは解決されたのです。しかも再発することがないほどにきれいにです。このような「弱い肢体たち」により頼むことにより、神はご自身の大いなる喜びを見せて下さったのです!

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