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組織と個人の狭間

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西島秀俊の"MOZU"がシブイ。ややタバコふかす場面が目につくが、彼は実に熟してきている。多分、世の中の仕組みはあの通りなのだろう。オウム事件もいろいろと裏がありそうだし、911などはモロにヤラセ。そう、世の事はすべて訛(か)たり、なのだ。

かつて、近所に日本有数の大企業の重役の兄弟がおられた。年齢は70近かったが、彼はメンタルと心臓を病んでいた。そして、よく呻くように言っていた、自分は存在自体が汚れている・・・、と。組織の体面や維持を守りかつ優先するために、自分の良心を敵に売り渡してしまったのだ(1Tim 1:19)。元々は純粋な方だったので、晩年は心臓発作などもあり、実に痛々しかった。地位とカネには恵まれていたが、家庭でも、ハッピーでは、決してなかった。子供たちに見透かされていたのだ。自分を自分で裁くだけでなく、子供たちの目によって裁かれていた。心臓を病むのも当然だった。

われわれは世との距離感を十分に意識する必要がある。極私的には六本木も好きなのだが、しかし、私は組織とはなるべく関わりを持たないように心している。これはいわゆる教会事も同じだ。ある者たちは自分のアイデンティティーと人生の達成を教会事に置き、メンバーの数や会堂の大きさなどを誇るようになる。まことに猿山のサルだ。私は一切、そういったものは負うつもりはない。欲しい人々には、むしろ喜んで持って行ってもらう。兄弟姉妹たちからはよく脇が甘いと愛の忠告を受けるのだが(私は幸いな立場にいる・・・)、実は私は密かにそれなりに判断している。表向きその本質がよく分からない人々も、彼らのやりたい放題を許していると、その本質が見えてしまうのだ。かくして

あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。
あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。
求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。-Matt 5:40-42

実はこれ、決して歯を食いしばってやせ我慢することでない。こうすることがまことに安楽なのだ。自分で守ろうとするよりは、すべて手放してしまうこと。これに勝る解放感と安楽感は他には味わえない。要するに、私は気持ちのイイこと、安楽な事をしているだけなのだ。そこでこのテストを試みてみた。

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結果は、「21歳。確実に若返っています」とか・・・。ふーむ、どう解釈したら良いだろうか?素直に取るか、それとも成長していないと取るか・・・。ま、確かにほとんど人生の苦労はしていないからなぁ・・・。最近はセルフィーにハマって、一部では「勘違いおじさん」とも評されているようではあるが、FBでもつぶやいたとおり、しかし、この姿、どうみても堅気には見えないなぁ。私は黒のビジネススーツと白のワイシャツでも石原軍団になるし、ワインレッドのシャツと合わせると、もはや前から来る人が避けていくのだ。息子はそれなりにビジネスマンになってきたが、親がどうも、だ。ちなみに彼の会社では昼飯代の補助が出るが、これが1日1,200円だとか?!新人が、はあ?と言ったところだ。私などは230円のすき家のミニ牛丼だけど まあ、いいっか・・・。

さて、明日でまた金曜日。ところがクーラーの風と温度差で鼻風邪気味なので、静かにしていようと思っている

Comment

Salt

手放す。これは持っているものの質や量には関係ないので誰にでも出来るのですが、実は一番難しいことですね。

世との距離感でいえば、和して同ぜず。水面の白鳥のごとく染まず漂うのがかっこいいですね。

「あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。」のみことばですが、なんで上着より先に下着を取ろうとするのかずっとわからないでいます。変態じゃないしなあ。

  • 2014/06/06 01:09
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Luke

まことに。下着と上着の霊的意味って何なのでしょうね。しかしイエスは実に面白い喩をする人ではあります・・・。

  • 2014/06/06 12:39
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