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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


 苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように-ヘブル12:15

 主のご愛顧は、あたかも部屋の中に閉じ込めようとする野生の鳥のようなものです。あなたが努力すれば、かえってそれを招き入れることはできません。それは鳥の意のままのことであり、しかも招き入れたとしてら、あなたは再び飛び去ってしまわないように意識することでしょう。あなたにはそれを部屋に入るよう説得することはできません。しかし離れ去させることは容易です。あなたの側の小さな不注意でそれは飛び去るのです!
 私たちを祝福することにおいては、神がイニシアティブを取られます。私たちの側のいかなる努力も求められません。しかし神の祝福が十分に注がれた時には、わずかな不注意でそれを失うことがあるのです。神聖なご愛顧は兄弟たちが調和しているところに見出されます。私たちが十分に知っているとおり、分裂があるところにはそれは決して存在しないのです。兄弟と何かの事柄において対立があることがいかに重大なことかを理解しているでしょうか。仮に、もし十分に吟味した結果、あなたがまったく正当であるとしても、です。主の顧みを失わないように、最善を尽くしてあなたの言葉に注意してください。そうでないと鳥は飛び去ってしまうことでしょう!

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