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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。-ヘブル8:11

 旧約の下にあっては、一般的に言って、神の御心を追求することは律法と預言者によって制約されていたと言えます。しかし、キリスト信仰においては重要なのは、情報ではなく、啓示です。あなたはキリストに関する教科書的知識を得ていますか?つまり、単にキリストの真のしもべが語ったことによってキリストを知っているのでしょうか?それともあなた自身がキリストに直接触れて、主を知るに至ったのでしょうか?私たちのクリスチャン生活において、神と親密に生きまた神が見せて下さったことを告げてくれる友人を持つことは非常に貴重な要素です。確かに私たちは、何度も何度も、彼らの注意を引く促しと彼らの成熟した静謐な助言を必要とします。しかし新約は次のことを保証しています:「すべての者がわたしを知るようになる」と。ここの「知る」という単語は「自分自身で知る」という意味です。私たちは自分を聖なる神の人からもたらされる光に完全にまた排他的に委ねるのではありません。それは確かに健全なことではあります。しかるに私たちは、自ら真摯に主ご自身のみ声を聴くことに責任があり、また主ご自身に従う義務があるのです。

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