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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。-エペソ4:13

 聖句の解釈が私たちと異なる人々と親密な交わりを維持することは、私たちの肉にとってはきわめて困難なことですが、霊にとっては意義のあることです。私たちは正しい見解を有しているかもしれませんが、神は私たちが正しい態度を取るための機会を備えてくださっているのです。私たちは正しいことを信じているかもしれませんが、神は私たちが正しく愛することを試されるのです。健全な霊的な教えで心を満たすことは容易ですが、心は真の愛を失いがちなのです。ああ、クリスチャンの忍耐とは何でしょう?ああ、心の度量とは何でしょう?神の子供たちは霊的光を熱心に求めるあまり、聖書解釈が自分たちと異なる人々に対して外部者のラベルを貼り、そのように彼らを扱うのです。神は私たちが異なる見解をもつ人々に対する愛の中で生きることを願われるのです。教師にとって、自分に対する批判こそが、真の霊的なテストとなるのです。

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