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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


 そして・・・幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。-マタイ2:11

 マタイ福音書は王の福音です。「私たちは礼拝するために来ました」と彼らは言い、そしてまず御子の正統な権利を確立しました。なぜなら礼拝こそがすべてだからです。礼拝すればするほど、神はそのことの根拠を私たちに見せて下さるでしょう。祈る前に、まず礼拝しましょう。宣べ伝えることにおいても礼拝しましょう。あらゆることにおいて主に心から礼拝を捧げるのです。これこそが今日地上における教会の仕事であります。すなわち神への礼拝を確立すること。私たちが礼拝することなくして、神はこの世において礼拝を受けることはできません。もちろん他の奉仕も忘れてはなりませんが、なお、まず礼拝を捧げるのです。賢者たちは自分の宝の箱を主に対して開きました。私たちは何も留保すべきではないのです。私たちが捧げるべきは香であり、香料ではありません。その香は、解き放たれる前に、香壇において完全に聖別される必要があるのです。これこそ真の礼拝です。今日、神は真の礼拝者たちを求めておられるのです。

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