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捧げることの祝福

いつもの再建主義の富井氏がこう言われる:

tomi 2014/09/04(木) 09:13

霊的な食べ物を美味しいと思わない俗物

昔、一緒に祈ったり、伝道したりしていた人が、年末年始に贈答品でも持ってこいと言ってきた。
・・・
私は、自腹を切って神学校で学び、高価な本やテープ、様々な資料を集め、自腹を切ってそれらを読み、学び、働きのために英語も猛勉強してきたからだ。
そういった蓄積された知識を自分の頭の中で整理し、苦労して組み立て、聖書的と言える教理を学び、それを分りやすく発表するために努力してきた実績があるので、別に信徒の人々に挨拶する必要はない。
礼儀としてはする必要はあるが、強制されてまでする必要はない。
むしろ、向こうのほうから年末年始何か持ってきて挨拶すべきだ。
膨大な時間とお金を使って得たこれらの知識を無料で提供してきたのだから。
こういう意識は、私はラッシュドゥーニーやゲイリー・ノース、グレッグ・バーンセンなどの私の師に対して抱いている。
だから、生前は定期的に献金をしていた。
まだ約束している額を捧げていないのが心残りである。
私がたとえ献金してそれに対して向こうから返事がなくても、私の側では、これらの偉大な師の労苦を分けていただけるのだから文句はない。
もし私が彼らに返事を求め、挨拶を要求し、しかるべき捧げ物もしなければ、私は彼らに対して「あなたがたから勉強させていただきましたが、感謝はしません」と言っているようなものである。
こんな無礼があるだろうか。
だから、どの世界でも自分の師、自分よりも先に何かを学んだ相手に対しては敬意を払い、生活を支えるのが当然だ。

どうも違和感。捧げること、特にニッポンキリスト教徒が不満を垂れるのがいわゆる什一献金だ。いわく什一献金の教会はカルトだとか、ぼったくりだとか・・・。私たちは献金はまったくの自由。それぞれが心に決めたとおり捧げることを大切にしている。什一でも、什二でも、百分の一でも、千分の一でも・・・。ポイントは惜しみなくだ。

そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。
私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。
ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。-2Cor 9:5-8

ここでのポイントは額ではない。心の問題。カネは私たちが世で生きるための縁(よすが)。しかし、私たちは、パンのみでなく、神の口から出る一つひとつの言葉で生きる。自分の存在の担保を誰に置くか。マモンか、神か。実はこれが問われているのだ。自分が縁とするものを手放すこと。これは実は、自分の生存の保証を神に置くことの表明なのだ。そしてそもそも捧げることの喜びと解放感を味わうことは祝福。カネの心配、世の思い煩い、人間関係の煩わしさ・・・こういった事柄から解かれることを意味する。もっと言えば、私たちは世にいる者であるが、世の者ではないことを実体化する(John 15:19)。

受けるより与えることは幸いである、と主は言われ、さらにただで受けたのだからただで与えよ、とも(Matt 10:8)。私たちのセレブのファイルは毎回300から400DLされている。そして勝手にどこかの誰かに聞かれている。BuhiさんがYoutubeにも上げてくださっているが、そちらでも多くの人が聞いてくださっている。私はまったく関知しない*1。しかし、捧げて下さる方もいらっしゃる*2。彼らには深く感謝しているが、そのことにより彼らが主ご自身から直接に大いなる祝福を得られることを願っている。もともと捧げ物はすべて、たとえばUNICEFに募金するにしても、心の動機は主ご自身にお捧げするのだから。この時、互いの交わりは実に祝福されたものとなる。しかしこれを一歩間違うと今のニッポンキリスト教の悲惨な様となる。再建主義のいわゆる契約主義から感じる違和感は、どうもこの心の動機の微妙な差に由来するように感じるのだ。祝福される交わり-これが実となるかどうか、要はここにある。

*1:ワーシップも主にお捧げするもの。ゆえにそれがどう用いられるかは、主ご自身にお任せするものなのだ。もしキリストの体にとってのお役に立つのであれば、また私たちにとっての祝福となる。
*2:私たちはセレブレーションにおいてすでに大いなる祝福を得ているので、もうそれで満足している。が、主はさらにプレミアの祝福をくださるお方なのだ。

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