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荒野に宴をもうけ

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ウォッチマン・ニーの黙想


 ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。-使徒13:36

 ダビデは一世代だけ仕えました。それは自分自身の時代です。決して二つの世代に仕えることはできなかったのです!今日、私たちは自分自身の仕事を、機関や、共同体や、組織を構成して永続させようとします。しかし、旧約の聖徒たちは自分の時代においてのみ仕え、去っていったのです。これはひとつの重要ないのちの原則です。小麦は撒かれ、成長し、実を結び、成熟し、そしてすべての部分が根に至るまで刈り取られるのです。神のみわざは地的な根を一切持たないほどに霊的なものであり、地とそこにあるものの臭いすら感じさせないのです。人は過ぎ去ります。しかし、主は永遠です。教会がなすべきことは常に今日的であり、今この時に活動し、集まるのです。過ぎ去った時間の必要のためではありません。またそれを地上に静止したまま止めおくこともできません。神ご自身がご自分の働き人を取り除けられ、また他の者を備えるのです。私たちのわざは廃れますが、神のわざは決して廃れません。何者も主に触れることはできません。主は厳然として神であられるのです。

※今回で本書の翻訳はすべて終了となります。毎週一篇づつですから、7年ちょっとかかったことになります。PDFファイルですべて読むことが可能です。右の「ウォッチマン・ニーの黙想」からDLしてください。彼は若き日に「自分は高く挙げられることを望まず、むしろ殉教の道を選ぶ」と語ったとおり、自分のすべて注ぎ出す人生を送りました。彼の人生は真に主へと捧げられたものとして、その生涯と最期を見るときに、私たちの霊的渇きを癒してくれるのです。すでに中国ではクリスチャンが一億を超え、政府も打つ手なしの状態になっています。彼についてはいろいろ言われなき非難・中傷もありますが、かえってそのことにより彼らの霊的本性を露わにしているのです。すべてを主のために捨てた人に勝てる者はありません。ナルドの香油を注いだマリアのように、自分のために何も残そうとしない時、それは永遠に記念されるのです。本書が皆様の祝福となりますように。G.B.Y.

Comment

まこ

本当に長い期間に渡っての翻訳の掲載をありがとうございました。
私が、本Blogを知ったのは、2〜3年前ですが、既に、11月までの翻訳は全てぷりんとしてファイルし、何度も読み返しています。
また、ルークさんのBlogで、初めて、ニーと出会ってから、10冊程度の著作を購入し、読ませていただいています。
メッセージでも、度々、ニーの黙想について触れられていますね。
ですから、私にとって、ルークさんのBlogに出会ったことがニーの世界に入る入り口でした。
イエスにより深く近付くことにもなりました。
今迄、本当にありがとうございました。

  • 2014/09/07 09:48
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Luke

楽しみながらできました。折に触れて主の語りかけも受けましたしね。彼は神に取り分けられた器です。

  • 2014/09/07 10:22
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