罪々(sins)と罪(Sin)の問題
ローマ書に啓示されているこの二面性の問題の神による処理。罪々に対しては血潮、罪に対しては十字架。このことを明確に語る人は多くありません。ウォッチマン・ニーの『キリスト者の標準』ではここをきわめて鮮やかに解き明かしています。
今、Dr.Kさんがこの論点について、ギリシャ語から詳細に調べておられますので、ぜひご一読ください。邦語訳の問題点も指摘されています。
現在、私も血潮についてずっとメッセージしていますが、いずれ十字架に入ります。御言葉をないがしろにするこの混乱したキリスト教の状況を見るとき、私たちは基本の基本に戻る必要があるのです。知るべきことはそれほど多くはありません。イエスの御名、血潮、十字架、御言葉、ここに戻ることです。
あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。-1John 2:24
zion
十字架と血潮を特に区別せずにワンセット(一体不可分)と考えていたので、興味深いテーマです。