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日々キリストのうちに

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ニール・アンダーソンによる黙想


 神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。-民数記23:19

 成功する人生を送る一つの鍵は神聖なゴールと神聖な願望を区別することです。
 神のゴールとは、あなたの能力やコントロールする権利を超えて、神の目的が人々や環境に依存することなくあなたの人生に特異的に反映することです。誰がそのような能力や権利を持っているのでしょう?ほかならないあなた自身です。神の目的を阻害し、あるいはそれを不確かなものとし、また不可能とするのはあなた自身です。
 それに対して神聖な願望とは、人々の協力やイベントの成功あるいはあなたがコントロールできない環境に依存する特異的な方向付けです。あなたは自分自身の尊厳や個人的成功を自分の願望に、たとえそれがいかに神聖なものであったとしても、基づかせることはできません。なぜならあなたは人々や諸々の環境を完全に制御することはできないからです。
 人々や環境が私たちの目的をブロックするとき、私たちは怒りを覚えます。感知し得るゴールが不確かであるならば、私たちは不安を覚えます。そのゴールが不可能であると見えるならば、私たちは落ち込みます。しかし、神のご目的がブロックされたり、不確かだったり、あるいや不可能であるでしょうか?神が共にいますならば、すべての事は可能であり、私たちを強めて下さるキリストによって私たちは何事もなし得るのです。神が私たちに願われることから私たちを切り離すことは誰もできません。
神がゴールと願望をどのように区別されるかに注意してください。ヨハネは書いています、「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです」(1ヨハネ2:1)。確かに神は私たちが罪を犯さないことを願われます。しかし神の神たる地位また神のご目的は、悔い改めを拒絶する者たちによってもブロックされることはありません。しかし、全ての人ではないにしても、誰もが悔い改めることが神の願いなのです。
 神のゴールは、イエスが「完了した」と言われたとき完成しました。神が定めた事は、神はなさいます。そこで私たちは神が創造されたとおりの私たちになり得るのです。

 主よ、わたしの人生に対するあなたのご目的を見せてください。またそれらをわたしのゴールとすることができるように助けて下さい。

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