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吹き荒れるカインの霊

時代は神に拒絶された者と受け入れらた者、すなわちカインの霊とアベルの霊の相克の時代と言ってきている。世からの拒絶は言わずもがな、ニッポンキリスト教においても真の神の赦しを得ていないキリスト教徒が聖書の御言葉を貶め、聖書をそのままに信じつつ、主にある救いの喜びを証する者たちを、その嫉妬と憎悪により、「原理主義者」とか「バイブルカルト」と断罪している。面白いことに彼らは私たちの「救われた」と証する言葉を嫌悪する。それは彼らが自分の救われていないことを知っているからだ。

彼らの本性とその霊はすでに明らかにされているが、映画『ポセイドン・アドベンチャー』のあの牧師的な神に対する敵意と憎悪が根本に存在する。彼は「神よ、お前はいったい何人の生贄を得たら満足するのだっ!!!」と叫んだ。そして自ら犠牲となり人々を救った。まことにイエスの血の犠牲を拒絶する言葉だ。神はすでにイエスの犠牲により満足されている!

今回カインの霊はこの点をダイレクトに攻撃している。アメリカで「Salvation」とロゴの入ったT-シャツを着ることすら相ならんと!?公立学校においては宗教的に中立であるべきで、憲法に違反する、と。彼らはこの「救い」なる単語にすら反応するのだ。

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時代は煮詰まっている。あちらの霊は自分の末路を知っているだけに、躍起になっているのだ。神の成し遂げられた十字架の事実を無効にすることはできない。ゆえに地上にあるキリストの体-エクレシア-に攻撃を加え、また世の人々の目をくらまし、自分の運命にできるだけ多くの人々を引きずり込むことが彼らの動機なのだ。彼らはその十字架の事実を突きつけられることを嫌悪する。御言葉を語られることを恐れるのだ。故にヒステリックなまでに拒絶し、逆に攻撃する。しかるに、血の花婿に受け入れられ、その御言葉をそのままに信じることができる人は幸いである:

ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。-Rom 3:24-26

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