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死と復活の原則-How to get a victorious life through the cross

ベニー・ヒンが説いている、いのちは死を通して現れると。十字架なしの道と、十字架を通る道。驚いたと同時に、励まされた*1。セルフから離れて、ただ血潮と十字架に頼ること。終わりの時代を生きる唯一の道だ。

追記:再建主義の富井氏も血潮の力について書いておられる。まことに同意する次第。

「イエスの血の犠牲によってのみわれわれは救われる。」

tomi 2014/12/11(木) 12:13

人は信仰のみによって救われる

フェデラル・ヴィジョン(オーバン・アヴェニュー神学)は、行いによる救いを唱えるので異端である。
私がかつて所属していた教会は、フェデラル・ヴィジョンを採用したので、異端になった。
行為義認を信じることは、軽微なミスではなく、確実に人を滅ぼす。
所属していた最後のころには、教会制度に対する異様なこだわりが見られた。
行為義認に傾くと、ハイチャーチ化(儀式中心主義化)が起きる。
パウロが述べたように、「割礼を受けているか受けていないかは重要なことではなく、新しい創造こそが重要」なのだ。
この「新しい創造」を重視する人々こそが、「神のイスラエル」であり、儀式や教会のメンバーシップを重視する人々はパリサイ人である。
新しい創造は、信仰のみによって起きる。
イエスを救い主として、人生の主として受け入れることによってのみ救われる。
そのときに、われわれは生まれ変わり、アダムを先祖とする人間のグループから出て、イエスを先祖とする人間のグループに入る。
イエスの御体である教会の一部になる。
しかし、行為によって救われると主張するならば、そのときにイエス以外の救い主を求めたことになるので、イエス契約から追い出される。
その典型は、カインである。
カインは、礼拝において犠牲を捧げなかった。
アベルは、犠牲を捧げた。
人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。
彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、
アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。
だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。(創世記4・1-5)

神は、行為義認の人々の礼拝を受け入れられない。
出エジプトの際に、イスラエルに対して神が命令された救いの方法は、門に犠牲の血を塗ることであった。
それ以外何も要求されなかった。
神は、血を塗った家を通り過ぎ、血を塗らない家の初子を殺された。
過越の祭は、このことを記念する。
イエスの血の犠牲によってのみわれわれは救われる。
これ以外の救いの方法を唱える者に対してパウロはアナテマを宣言した。
私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。(ガラテヤ1・9)
フェデラル・ヴィジョンを信じるならば、われわれは呪われて永遠の刑罰に定められる。

*1:彼も導かれていると思う。いろいろ批判されているが、主にある兄弟であると感じる。

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