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日々キリストのうちに

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ニール・アンダーソンによる黙想


 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです(ヘブル11:6)。

 偉大なオリンピック・スプリンターのウィルマ・ルドルフの人生は際立った信仰の物語です。ウィルマは生まれつき障害を持っており、それにより足が動きませんでした。「わたし、ほかの子たちと同じように走ったり遊んだりできるかしら」と彼女は両親にたずねました。
 「いい子ね、神を信じて絶対諦めちゃダメよ」と彼らは答えました。「もしあなたが信じるなら、神はそのとおりにしてくださるから」。両親のアドバイスに従って彼女は痛みを伴いつつ歩き出しました。12歳になる時までには、なんと喜ばしくかつ驚くべきことに、ウィルマは支持帯が要らなくなっていました。彼女は高校バスケットのチャンピオンシップに出場し、1960年のオリンピックで三つの金メダルを獲得しました。
 ウィルマ・ルドルフのような啓発される信仰の物語を聞くとき、あなたは思うことでしょう、「私も神の言葉どおりを取るならば、そんなことが達成できるのだろうか」と。信仰はクリスチャン生活にとって基本です。神がいかなる方であるか、何を言われたか、何をなされたか、そして何をなされるか、それらが神の国を定義します。
 さらに、信仰はクリスチャンの日々の活動のエッセンスです。パウロは書いています、「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい」(コロサイ2:6)。あなたはどのようにキリストを受け入れましたか?信仰によって、です。キリストと共にどのように歩みますか?信仰によって、です。聖句では、歩むことは毎日の生活を送ることを意味します。勝利のクリスチャンの生き方と霊的成熟は私たちの神に関する信仰によって決定されます。
 私たちは信仰を何か霊的領域にのみ属する神秘的要素として考える傾向があります。しかし誰でも信仰によって歩んでいるのです。それは人生のもっとも基本的に働く原則です。問題は、何をあるいは誰を信じているか、です。私たちは神を信じること、そして神の言葉を真剣に受け取る必要があるのです。

 感謝します、主よ、あなたの御言葉は天において永遠に存立しています。私の感覚や環境がどうであれ、私はあなたご自身とあなたのお言葉に信頼します。

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