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日々キリストのうちに

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ニール・アンダーソンによる黙想


 弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう(ルカ6:40)。

 あなたの子供たちには、あなたが成功した時よりも、失敗した時にいかにすべきかを示す必要があります。もし失敗した場合は、状況が必要である時、その失敗を受け入れ、謝罪する必要もあるでしょう。あなたが肉的な反応を適切に対処しないとしたら、どうして子供たちが自分の失敗を聖書的に取り扱う術を学ぶことができるでしょうか。
 ある日曜日の朝、教会に出かけるのに娘が準備できていなかったことがありました。私はそれをイライラして、ついに怒りを爆発させてしまいました。礼拝の後、食事の際に祝福を祈る前、神の重い照らしの御手が私に置かれるのを感じました。私はただちに中断し、家族に怒りを爆発させたことに赦しを乞いました。私は娘の怠惰を指摘しませんでした。なぜならそれは私の責任ではないからです。また娘が自分の怠惰を認めるように期待しつつ、彼らの赦しを求めることもしませんでした。私は自分の怒りが肉からのものであることを赦して欲しいと求めました。私自身が神と正しい関係にありたいので赦しを求めたのです。
 神があなたにしなさいと命じたことをすることで、あなたは子供たちの評価を失うことはありません。むしろそれにより正直な人であると評価され、同時に子供たちが同じ失敗をした場合の対処方法を示す模範となるのです。子供たちは批判ではなく、模範が必要です。模範は「主の教育と訓戒によって育て」(エペソ6:4)るための信頼を確立するのです。

  主よ、私の子供たちと他の私を見ている人々の前で、従順と真実の生き方の模範となれるように助けてください。失敗した時には、そのミスを認め、葛藤を解く恵みを与えてください。

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