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心の鈍さのゆえ

聖書はやはりぶっ飛んでいる。私たちの置かれている時空間とその中の法則を超えた世界を描き、その到来を告げているのだ*1。しかし

イエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。」-Luke 24:25-26

この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。-Heb 5:11

まことに私のことだ。この心と耳の鈍さは致命的だ。私たちは聖書を自分の世界観(パラダイム)に押し込めてしまう。ある人は神に関する記事として、ある人は宗教の経典として、ある人は道徳の本として、ある人は人間学の書として、ある人は真理の探求書として、ある人は自己啓発や人生の成功指南書として、あるいは自分の霊的成長のマニュアルとして・・・。が、御言葉(logos)をまんま受け取り、内に語られたことば(rhema)として信じることができるならば幸いだ。やはり、やばい・・・。

イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」-Mark 9:23

*1:その完全な現れは次の経綸千年期に成就する。現在の経綸では前味わい(1Cor 13:12;Eph 1:14)。その味わい方はそれぞれの信仰によって差が生じるのだ。

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