Entry

トップ > 信仰 > 神の栄光はヘヴィー

神の栄光はヘヴィー

「栄光(Glory)」と訳されている原語には何種類かあるが、もっとも頻繁に出るのが、"kâbôd"あるいは"kâbôd"。その意味はStrongによると

From H3513; properly weight; but only figuratively in a good sense, splendor or copiousness: - glorious (-ly), glory, honour (-able).

第一義的に「重さ」。そう、神の栄光は重いのだ。ものすごくヘヴィーなのだ。呼吸ができなく無る位に。だからやばい・・・。その時

So that the priests could not stand to minister by reason of the cloud: for the glory of the LORD had filled the house of God.-2Ch 5:14

立っていられなくなる!床に押し付けられて、身動きができない!神の重さを感じるのだ。あれから私は手で神に触ることができるように感じられるようになった。天の父は物理的に遠くにおられるのではない*1。その方はYHWH、すなわち"I AM"-今、ここにおられるお方。私は10年以上前に著書で書いた、「信仰は"I AM"の実体化である」と。この言葉は予言的だった。当時とはまったく異なる次元でそれを味わっている。そして見せられている*2。やはり、やばい・・・。

*1:Do you believe 「キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。-Eph 2:6」?。私たちはキリストと共に天の座にいる存在なのだ!
*2:これをここで書けば間違いなくDr.Lukeは逝っているとなるだろう。パウロは14年間秘めていたが、それは謙遜していたのではない、この世の知性にはやばすぎて話せなかったのだ・・・。私もとてもではないが書けないし、話せない。精神科の兄の元に行けば、おクスリをだしましょう、となるだろう。

Access: /Yesterday: /Today:
{literal} {/literal}