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日々キリストにありて

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ニール・アンダーソンによる黙想


 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません(1ヨハネ5:11;12)。

 神がアダムに息を吹き込まれたとき、彼は肉体的にも霊的にも生かされました。アダムは霊的に生きていましたが、それは彼の魂が神と調和していたからです。私たちは神から分離したり、独立して生きるようには決して設計されていません。私たちは霊的に生きる存在だったのです。
 クリスチャンにとって、霊的に生きることは神と結ばれていることです。この考えは繰り返し聖書の中で、キリストにあってという常套句で提示されています。キリストにあることは新約聖書のテーマです。アダムと同様に、私たちも神と結ばれるべき存在として創造されました。しかしアダムは罪を犯し、彼の神との結合は、私たちも同じですが、破壊されました。人類を神ご自身へと帰り来らせ、アダムが創造された時に享受していた神との交わりを回復することが神の永遠のご計画なのです。その回復された神との調和は、キリストにあって見出すことができますが、私たちのアイデンティティの本質です。
 あなたが再生されたとき、あなたの魂は神と結合され、アダムが罪を犯す前にあの園で生きていたように、霊的に生きることができるものとされました。新約聖書が繰り返し宣言しているように、あなたは今やキリストのうちにあり、キリストはあなたのうちにおられるのです。あなたのうちにおられるキリストは永遠のお方であるゆえに、彼により得たあなたの霊的生命も永遠のものです。永遠のいのちを得るために死を待つ必要はないのです。今ここで保有しているのです!
 使徒ヨハネは書きました、「御子を持つ者はいのちを持つ」(1ヨハネ5:12)。彼は多分イエスのマルタに対する言葉を思い起こしていたのでしょう、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか」(ヨハネ11:25;26)。イエスはマルタにこう言われた後で、「あなたはこれを信じるか?」(26節)と問われました。
神の言葉は明確です:イエスのゆえに、私たちは肉体的に死んだ後でさえも、霊的に生きることができるのです。あなたはこれを信じますか?

 愛する父よ、私は心から私の霊的いのち、永遠のいのちがあなたのうちにあることを宣言します。今日、永遠を見る視点からそのいのちを生きさせてください。

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