十字架の意味
- 2015/01/07 14:56
- Category: 信仰
- Tag: 死と復活の原則 いのちの御霊の法則
クリスチャンがよく陥る罠が十字架における自己の死だ。これを宗教的に自分勝手に理解して、自我を否んで、自我を十字架につけて、自分は何もしない・・・、と。これでいわゆる受動性の罠に陥る。
十字架は生まれついてのアダムにある古い人由来の魂(soul)由来のエネルギーから御霊による復活のキリストのいのちの(霊的)エネルギーに切り替える場なのだ。十字架における自己の死とは、魂の機能である思い・感情・意志の機能を停止することでは決してない*1。十字架が働けば、復活のいのちが流れる。このいのちのエネルギーで、いのちの御霊の法則に乗って生きること、これがクリスチャンの生だ。死だけでは何もなされないし、神の御心はなされない。復活があって初めてそれは成就する。むしろ、復活の領域では死者が生き返り、病人は癒され、悪霊も追い出されという人間にはとうてい不可能な事象も起こる。いや、それをなせと主イエスは命じられているのだ(やばいでしょ?)。この復活の段階までが起きてこそ神の国の現出と神の栄光が現れる。
神の国はロゴスの中にではなく、力のうちにある。その力とはイエスを死から甦らせた神の力。だから死者がよみがえって当然なのだ。この復活のキリストのいのちを吹き込まれた存在がエクレシア。ハデスの門も打ち勝てない。よってますますアクティブに、大胆に生きるのがクリスチャン。私たちのこれまでも既成概念を打ち壊してもらう必要がある。古い着物にいくら新しい布でパッチワークしてもかえってボロボロになるだけ(Luke 5:36)。新しいワインは新しい革袋に入れるのだ(Matt 9:17)。どうもこの御言葉の意味も取り違えていたようだ。今回主は、この新しい着物と新しい革袋のパワーを知れ、と迫って来られるのだ。
で、この祈りはすごい。57分間ノンストップ!
*1:むしろ復活のエネルギーで作動する魂は栄えるのだ(3John 1:2)。
電気屋
「どうもこの御言葉の意味も取り違えていたようだ」
すごいな~ これをサラッとかけるなんて尊敬しそうですよ、マジで、、