ヘブル11章3節のチャレンジ
- 2015/01/09 19:20
- Category: 信仰
- Tag: 信仰 事実 真理
信仰によって、この世が神の言葉によって造られたこと、したがって見えるものは知覚しうるものから生じているのではないことを、私たちは理解している。-Heb 11:3(岩波訳)
この神の言葉は"rhema(レーマ)"だ、神が語り出された言葉。私たちの五感で知覚し得る物は見えないものから造られている。この「造られた」は"katartizo"、英訳では"framed"。Vincentは"Put together; adjusted; the parts fitted to each other."としている。あたかもテレビカメラのフレームにある場面を現出させるような感じ。目に見えない領域の存在をこの地にフレームするのだ。これが御心が天になるごとく、地にもなるようにの意味。そして神の栄光だ。
ポイントはこうだ。今、目の前に厳然と存在し・手で触れることのできる事実によって生きるか、目には見えないが・目に見えるものを生じさせる霊的実体(真理)によって生きるか、この選択が信仰の活用。信仰とは希求することの実体(Heb 11:1)。この目に見えない世界に自由にアクセスできるようになると、目に見える領域に存在していなかったものを生じさせることが可能となる。かつてアズサ・ストリート・リバイバルでは、手のない人に手が生じたとの証言もある。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。-2Cor 4:18
えええっ!この手の話は、実は、サイエンティストを気取る私がもっとも毛嫌いしていたこと。聖書はこのようなヤバイことを告げている。が、私自身がほとんど死んでいた聴力を癒された。かつては何気にスルーして、受け入れ易いところだけをつまみ食いしてきた。が、今、私はガチで神からチャレンジを受けている:
HS=Sky
最近の記事、大変興味深く拝見しています。
本年もどうぞよろしくお願い致します。